Nichibunken Open Access (International Research Center for Japanese Studies Repository)
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<BOOK REVIEW>Religion and Tourism in Japan : Intersections, Images, Policies and Problems, by Ian Reader
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<BOOK REVIEW>In Close Association : Local Activist Networks in the Making of Japanese Modernity, 1868–1920, by Marnie S. Anderson
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<研究ノート>「朝顔の茶会」をめぐる言説 : 近世における茶の湯逸話の展開
豊臣秀吉を迎えた朝会において、千利休が露地の朝顔を取り払い、茶室の床に一輪のみ生けたという「朝顔の茶会」は、茶の湯の逸話のなかでももっともよく知られたものである。事実かどうかはさておき、現在にいたるまで、千利休の茶の湯を論じる素材として語られてきた。本稿では千利休の同時代から19世紀前半までの資料にもとづき、近世において「朝顔の茶会」をめぐる言説がどのように展開したのかを概観する。
この逸話は、①亭主が千利休、②客が豊臣秀吉、③朝顔をすべて取り払う、④茶室の床に花一輪のみ生ける、という四要素から構成されている。1701年に刊行された『茶話指月集』においてこの逸話は確立するが、16世紀後半には「朝顔の茶会」は特殊なものではなく、一般的におこなわれていた。それが17世紀をつうじ、いくつかの教えの系譜がみられるようになる。まず、「朝顔の茶会」には“初座に花、後座に掛物”という教えがあらわれ、それに朝顔を生けるための“技術的な教え”が付随してくる。さらに、亭主を細川三斎とする「朝顔の茶会」の逸話があらわれる。
その一方で、「朝顔の茶会」の逸話は、主客についてのさまざまなバリエーションを伴いながら、17世紀後半にはかなり広範に流布していたと考えられる。そして、18世紀後半に川上不白が千利休「朝顔之茶ノ文」を発見したことにより、千利休の「朝顔の茶会」の逸話は信じるに足るものとされるにいたるのである。
そもそも、さまざまなバリエーションがある主客の組み合わせのうち、亭主が千利休、客が豊臣秀吉に固定した背景には、17世紀中期に千家が武家社会へ対応するために、その由緒を潤色したことがあるのではないか。さまざまに語られてきた「朝顔の茶会」の逸話は、結果として千利休よりも後の、17世紀の茶の湯の教えを反映したものと考えられる。journal articl
2022年中国における日本歴史研究について
近年、中国における日本歴史研究は多様化、深化する傾向にある。2022年、中国の日本歴史学界は近現代日本歴史に関する研究を重視した。中日国交正常化50周年を記念する機会に、多くの学術団体や研究機関が一連のシンポジウムを開催し、中華人民共和国成立以来の日中関係の歴史的発展を包括的に振り返った。研究のホットスポットは、現代日本の中国との関係、日本の外交史、近代における日本の中国調査、中国侵略時の占領地に関することである。2022年の中国学界における日本研究の特徴は、日本の医学史と概念史に対する新たな試みが反映されたことである。articl
帝国の戦争と植民地台湾 : 動員、経験と記憶
本稿は、台湾の学界における植民地台湾での戦争動員と民衆の経験について1990年代以降の研究成果を紹介する。台湾の学界は戦時下の台湾人への精神的動員と戦後の処遇に関心を寄せ、葛藤にみちた「戦時」と「終戦」を描いてきた。また、戦争動員の仕組みを掘り下げると同時に、植民地台湾が背負わされた複雑で重層的な権力の構造を探求し続けてきた。近年、戦時下での民衆の主体性と能動性を問う研究も見られるようになっている。articl
<研究ノート>タイ国立公文書館所蔵、十九世紀末から二十世紀前半の日本関係史料リスト : ラーマ五世王・六世王期の外務省史料目録から
海外に所蔵される日本関係史料には貴重なものが多くあると想定されるが、具体的な実態は十分に把握されていない。こうした海外所蔵の一次史料を活用することで、国際的視野から新たな日本研究や歴史研究が可能になると考えられる。
本研究ノートでは、タイ国立公文書館所蔵のラーマ五世王期(1868年~1910年)とラーマ六世王期(1910年~1925年)の外務省史料目録から、日本関係史料タイトルを抽出し(外務省史料タイトル全33,465点のうち、日本関係史料タイトル全343点)、タイ語とその日本語訳、年代、分量などを付してリスト化した。その結果、六世王期の史料タイトル数は五世王期に比べて3割ほど増加し、情報収集の体系化や、軍事・経済面での協力関係の進展、王室・皇室に関わる儀礼記録の増加など、日タイ関係の変化の様子が見出せた。また日本の政治や経済、社会、文化など多岐にわたる事柄を反映する史料タイトルの存在が確認できた。
これらは新たな日タイ関係史研究の展開や、海外の史料を用いた国際的な日本研究に向けて有効活用できる。今後の研究では、日タイの史料を突き合わせる「マルチ・アーカイバル・チェック」と公文書史料を多角的に分析する「史料学的アプローチ」を組み合わせ、様々な学問分野の両国研究者による国際的・学際的な共同研究が必要である。
こうした共同研究を通じて両国の研究者は、相互補完的な関係性を構築するとともに、これまでタイ歴史研究の分野で十分に扱われてこなかった一次史料の分析を進めて、19世紀末から20世紀前半の日タイ関係史に関する新たな研究成果を提出し得るだろう。さらにタイの諸分野の研究者も含めた日本の政治や社会、文化に関する史料分析により、東南アジアの視点から捉えた国際日本研究にもつながると想定される。本研究ノートの日本関係史料リストはその出発点となり得ることが期待される。journal articl
In the Dragon Girl’s Footsteps : Women in Nichiren Buddhism and Modern Nichirenist Gender Ideology
In the late nineteenth through the mid-twentieth centuries, the movement known as Nichirenism sought to realize an ideal Japan based on the Lotus Sutra and the teachings of the medieval Buddhist figure Nichiren (1222–1282). In pursuing this goal, leaders within the movement sought to mobilize the efforts of women. They formulated a female gender ideology that drew both on Nichiren’s egalitarian reading of the dragon girl episode in the Lotus Sutra and on the contemporary discourse of “good wives, wise mothers” as exemplifying women’s proper social roles.
This article has two major aims. One is to provide a preliminary overview of women in Nichiren Buddhist history, considering women in Nichiren’s early community and introducing examples of women practitioners from later medieval and early modern times. The second aim is to analyze how modern Nichirenist advocates crafted and legitimated female gender norms, focusing on writings by the lay leader Tanaka Chigaku (1861–1939) and the elite nun Murakumo Nichijō (1896–1962). The ongoing influence of Nichirenist gender ideology is also addressed. Finally, the article touches on the possibility of alternative readings of Nichiren’s teaching with regard to women.Early Access Publishing date: 2025/06/24journal articl
翻訳文体の魅惑と欲望の投影 : 現代中国における村上春樹文学の受容
本稿は、2009年以降の中国における、村上春樹文学の受容を考察したものである。それまで読書市場を独占してきた林少華の村上文学翻訳は論争を通してその権威を失い、「プチブル情調」式の理解も相対化された。村上文学に関し、学界・マスコミ・出版社の間では共通した話題で盛り上がった一面もあるが、相矛盾した部分もある。こうした様々な現象は、村上文学の豊かさと言える一方、学界・マスコミ・出版社各々による欲望の投影とも言えるだろう。articl