Sapporo Gakuin University (SGU): Repository / 札幌学院大学学術機関リポジトリ
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    3005 research outputs found

    目次・CONTENTS

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    古代ギリシャの文化と東アジア ⑴

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    Bulletin研究ノートResearch Notedepartmental bulletin pape

    表紙・目次

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    沈黙を同意とみなすことは許されるか ― ドイツにおける銀行約款の一方的変更―

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    Bulletin研究ノートResearch Notedepartmental bulletin pape

    子どもが資質・能力を発揮し、主体的に表現に取り組む図画工作科の授業 ~4学年 「まぼろしの花」の実践と考察を通して~

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    Bulletindepartmental bulletin pape

    学校における「防災教育」の課題 -第3次学校安全の推進に関する計画を踏まえた「防災教育」-

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    Living with Native Ainu-Speaking Elders (I): The Oral History of Taeko Tanaka

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    本稿は,北海道むかわ町汐見のアイヌ民族の家庭に生まれ育った田中妙子さん(1947年生まれ)のオーラル・ヒストリーである.近代以降,アイヌ民族に対する日本社会からの同化政策や激しい民族差別は,アイヌ語やアイヌ文化の継承に大きな負の影響を与えてきた.田中さんが育った1950年代から1960年代の汐見においても,若い世代はアイヌ語やアイヌ文化の継承の機会を失いつつあった.その一方で,アイヌ語を母語として獲得し,伝統的なアイヌ文化を継承した世代の人々が家庭内や集落内の中高年層として若い世代とともに暮らしていた時代でもあった.田中さんが祖母をはじめとしたアイヌ語を母語とする世代の人々と接する中で経験した文化的な記憶を紹介する.This oral history recounts the life of Taeko Tanaka, a woman born in 1947 and raised in an Ainu family in Shiomi in Mukawa Town, Hokkaido. Since the advent of Japan's modern era, assimilation policies and intense discrimination by mainstream society have severely hampered the transmission of the Ainu language and culture. Even in Shiomi during the 1950s and 1960s, when Taeko Tanaka was growing up, younger generations had increasingly limited opportunities to learn the Ainu language and culture. At the same time, it was also an era when those who had acquired Ainu as their mother tongue and inherited traditional Ainu culture lived alongside the younger generation as middle-aged and elderly members of families and the community. This paper explores Tanaka's personal recollections of cultural experiences through her interactions with her grandmother and others of the generation who spoke Ainu as their mother tongue.Bulletin言語学Linguistics資料departmental bulletin pape

    Analysis on Rice Price Declines During the Surge in Aged Rice Inventories

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    日本の食用米市場において,古米在庫の増加した2014年には全銘柄で価格が下がったが,下落率には銘柄間で差があった。本研究は,どのような銘柄で価格下落率が大きくなっていたのかを調べた。銘柄別価格データに基づき,2014年産米の価格下落率を被説明変数とした回帰分析をおこなった。供給要因や需要要因を表す変数に加えて,古米との代替性を表すと期待される変数を説明変数に加えた。月別販売量データに基づくクラスター分析でグループ分けをおこない,グループごとの傾向の違いも検証した。次のような結果を得た。第1に,価格や食味ランクが高く,高品質と考えられる銘柄は,価格下落率が小さい傾向があった。そのような銘柄は古米との代替性が低かったためと考えられる。第2に,その傾向の強さには,販売パターンで分けたグループごとに有意な違いがあった。第3に,供給要因や需要要因を表す変数の係数は有意ではなかった。これらの結果より,2014年産米の価格下落率の銘柄間差異は,主に古米の在庫との競合度合いの違いによるものであったことが示唆される。Bulletin論文Articlesdepartmental bulletin pape

    A study on obsidian stone tools from the terminal Kofun in the northern Tohoku region

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    本論では,末期古墳として著名な八戸市丹後平古墳出土の北海道産黒耀石製石器を対象に,礫面の観察と石器表面状態の分析を実施した。さらに,当該期の八戸地域の黒耀石原産地推定結果を集成・検討し,末期古墳の研究成果と対照することで,黒耀石の流通過程や地域間関係について予察した。  その結果,丹後平古墳出土の赤井川産黒耀石は,①原石産出地付近と河川流域で獲得されたものであり,②運搬痕が弱いかほとんどみとめられず,使用痕跡もみとめられないことから,原石か原石に近い状態で搬入され,打ち割り後に顕著な使用や移動を介さず墓にそなえられたことがわかった。また,当該期の八戸地域では,③赤井川産を主体とし東北産の黒耀石が伴う,多産地の原産地構成であり,④原産地から遺跡までの距離と利用量との間に相関関係がみとめられないことを確認した。  丹後平古墳が形成された7世紀後半から8世紀前葉は,末期古墳の拡大・転換期にあたり,八戸出土の赤井川産黒耀石および石狩低地帯出土の出来島産黒耀石の存在は,土師器集団および擦文集団ともに当該期に主要な分布域外への活動が活発化したことを示唆しているのである。In this article, we examined the gravel surface and the surface condition of stone tools made of Hokkaido obsidian recovered from the Tangotai Kofun in Hachinohe City, a renown Kofun from the terminal Kofun period. In addition, we compared the results of obsidian identification in the Hachinohe region with the studies of terminal Kofun to discuss the distributional process of obsidian and inter-regional relationships during the terminal Kofun period in the broader Hachinohe area.  As a result, we figured that the Akaigawa (Hokkaido) obsidian recovered from the Tangotai Kofun was procured from near the source as well as rivers and would barely show marks of being transported or used, indicating that it was imported into the region in the state of raw material and was buried in the Kofun right after being knapped. In addition, it became apparent that the sites in the Hachinohe region are characterized by utilizing raw obsidian materials from multiple sources, primarily from Akaigawa along with Tohoku, and that there is no specific correlation between the site-to-source distance and the quantity consumed.  The presence of the Akaigawa obsidian in Hachinohe as well as the Dekishima obsidian in the Ishikari Lowland suggests that both the Haji-ware-culture community and the Satsumon community expanded their playground during the latter half of 7c to the beginning of 8c with the spread of terminal Kofun, and during when the Tangotai Kofun was build.Bulletin論文Articlesdepartmental bulletin pape

    Erasmusʼs 'Christian Teachings' on Married life and King Henryʼs Marriage ─ Teachings of Reconciliation ─

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    本稿では,エラスムスの『対話集』において彼の結婚生活の見解を検討し,その後にイングランド王ヘンリーの結婚生活あるいは離婚劇を通して,エラスムスの見解との違いについて考察する。本稿の前半(第1節から第4節)では,エラスムス『対話集』に収められている作品『結婚生活』を通して,庶民(民衆)の結婚生活において賭博・放蕩・暴力・浪費などから発生する夫婦間の問題とそれへの対応策について考察する。本稿の後半部分(第5節)では,ヘンリー8世の六回に及ぶ結婚とその結婚生活を彼の結婚相手の女性(キャサリンやアン)の視角から考察する。  エラスムスは,彼の作品『結婚生活』において,キリストの教えである「和解の教え(和合の教え)」から結婚生活の危機を乗り越える方策を検討し,妻の視点から,賭博・放蕩などの浪費生活する自分勝手な夫を「回心」させ,夫婦の結婚生活の再生を試みる方策について検討する。エラスムスは,頽廃した夫ニコラウスの賭博・放蕩・泥酔に馴染む生活を「回心」させるべく彼の妻クサンティペが彼女の友人エウラリアに相談し,その頽廃した生活を「回心」させる「和解の教え」としての方策が展開されている。彼女の友人エウラリアは,クサンティペの夫ニコラウスの生活態度を刷新し,悔い改めるための幾つかの策を提案する。その提案は福音的和解の提言,宿命論に基づく提言,エウラリア自身の体験談からの提言,譲り合い(謙遜)と柔和に基づく提言,神聖な場所での喧嘩の回避の提言,そして愛の結晶の効用の提言,からの六項目である。これらの提言は,二人が離縁することなく結婚生活を継続し続けるための提言で,すべて,彼女の夫ニコラウスの生活態度を改め,「回心」させることが意図された提言である。しかし,彼女の友人エウラリアは,『聖書』の教えにならって和解をとくが,クサンティペは納得しない。次に,彼女は宿命論を翳すが,クサンティペは納得しない。次には,彼女は,譲り合いの気持ちを持ち出し,二人は離れられないと諦めて,その上で,譲歩して,夫に敬意を示し,夫に合わせるように努力させようとした。この譲り合いの気持ちを基本にし,エウラリアは,彼女自身の体験も織り交ぜて,柔和な心と譲り合いの精神の大切さをクサンティペに説く。  エラスムスは,『対話集』の結婚生活では,庶民の結婚生活を念頭に置いているが,それに対しヘンリー王の結婚ならびに結婚生活は,宮廷での国王(君主)と王妃の結婚・結婚生活で,国王と王妃との間で繰り広げられる生活は,庶民(大衆)の結婚生活では計りきれない問題が介在する。それは,王による国家統治に関わる問題が結婚生活に入り込んでいることである。本稿の第5節では,エラスムスの対象の庶民の結婚生活ではなく,宮廷内での結婚生活,そこでの生活に翻弄される女性にスポットを当てて結婚生活についての歴史の一コマを一瞥する。六人の女性がヘンリーと結婚するが,ヘンリーは女性を王妃として扱って結婚生活を送るというよりは,彼女らを単に世継ぎを出産する女として,あるいはヘンリーの母性を満たす女として処遇している。キャサリン・オブ・アラゴン,アン・ブーリン,ジェイン・シーモア,アン・オブ・クレーヴィス,キャサリン・ハワード,そしてキャサリン・パーの六人の女性がヘンリーの結婚相手であった。  キャサリン・オブ・アラゴンは20年以上もヘンリーとの結婚生活を共にするが,その結婚は,無残にも,無効であると裁断される。二人の間では,一人の娘(後のメアリー1世)だけが成長する。ヘンリーは男の後継者を期待していたが,キャサリンの場合には男の子は流産あるいは死産あるいは出産後直ぐに死亡していた。次のアン・ブーリンは,ヘンリーとは3年ほどの結婚生活であったが,二人の間には一人の娘が生まれ成長した(後のエリザベス1世)が,男の後継者は,流産して生まれることはなかった。結局,アン・ブーリンは反逆罪法にて処刑され,非業の最期であった。ヘンリーの三人目の結婚相手は,ジェイン・シーモアであったが,彼女との間では,男の後継者(後のエドワード6世)が生まれ成長したが,無念にも彼女は産褥熱にて産後10日ほどで死亡した。その四番目の結婚相手は,アン・クレーヴィスであったが,彼女はドイツから招かれたプロテスタントの女性であったが,彼女の幼い時に交わされた婚約を理由に,ヘンリーとの結婚は強引にも無効にされ,その上で,クレーヴィスは,イングランドからの出国を禁じられた。ヘンリーとアン・クレーヴィスとの結婚は正真正銘の政略結婚であった。次のキャサリン・ハワードとヘンリーの結婚は,過去のキャサリン・オブ・アラゴンやアン・ブーリンやジェイン・シーモアとの結婚とは違っていた。それまでの場合には,ヘンリーが相続男子をもうけるための結婚であったが,彼のキャサリン・ハワードとの結婚は,心の慰めを求めるための結婚であったと思われる。キャサリンとヘンリーの年齢差は,親子ほどあった。ヘンリーは,キャサリンを猫かわいがりする関係であったと推測される。キャサリンは,国政には全く関心を示さずに,宮廷の贅沢三昧な生活を楽しんでいたようであった。キャサリンは,宮廷に出入りするヘンリーの贔屓の男と不貞関係を持ったという嫌疑で,彼女は反逆罪法にて処罰された。最後のヘンリーの結婚相手はキャサリン・パーであった。キャサリン・ハワードの処刑後直ぐにヘンリーは彼女と結婚している。ヘンリーは,キャサリン・パーには母性を期待していたと思われる。キャサリンは,賢いプロテスタントで,カトリック信仰を抱くヘンリーを造作もなく操って宮廷での生活を送っている。また,彼女は,それ以前の二度目の結婚で二人の継母としての経験を持っていたことから,ヘンリーの三人の子を教育する知恵にも長けた賢い女性であったと理解される。Bulletin論文Articlesdepartmental bulletin pape

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