Sapporo Gakuin University (SGU): Repository / 札幌学院大学学術機関リポジトリ
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    3005 research outputs found

    表紙・目次

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    コミュニケーション能力を高める生活単元学習 ~シュタイナー教育の人形劇を取り入れた実践~

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    「探究的な学習の過程」への理解を深める取り組み 大学生が自らの学習活動を調査票で振り返ることの有効性

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    Facilitators and Barriers to the Implementation of Functional Behavior Assessment of Student Challenging Behavior at School and Consultations Implemented on that Basis: A Pilot interview study using CFIR(Consolidated Framework for Implementation Research)

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    激しい自傷行為や他害行為,物壊しといった行動上の問題については,それらの症状が固定化する前に,より早期に機能的行動アセスメント(Functional Behavioral Assessment:以下,FBA)に基づく支援などの効果的な介入が行われることが求められる。日本においても,行動上の問題を有する児童生徒が在籍する特別支援学校でFBAに基づくコンサルテーションが実施され,その効果が報告されている(井上ら, 2023)。しかし,日本の学校現場でこれらの介入が広く普及し日常的に実装されているとは言い難い状況にある。以上から本研究では,学校現場でのFBA及びFBAに基づくコンサルテーション実装のための促進・阻害要因を明らかにすることを目的として,実装研究のための統合フレームワーク(Consolidated Framework for Implementation Research:以下,CFIR)を用いたインタビューのパイロットスタディを行った。結果から,教員間の協力やチームでの実施,管理職が実装内容を熟知した上で推進することなどが実装を促進し,一方で教員特有の職務内容による時間的余裕のなさや専門的な情報を得にくい環境,それらにより専門的な知識を有する教員が少数派であることなどが実装を阻害すると考えられた。For challenging behavior at an early stage, such as severe self-harm, harming others, and destruction of property, before symptoms become embedded, effective interventions, such as support based on Functional Behavior Assessment (FBA) is necessary. In Japan, reports have described the implementation and effectiveness of FBA-based consultations in special-needs schools for students with challenging behavior (Inoue et al., 2023). However, such interventions are not widely implemented in Japanese schools. Therefore, this study aimed to identify facilitators and barriers to the implementation of FBA and FBA-based consultations at special-needs schools by conducting pilot interview study using the Consolidated Framework for Implementation Research (CFIR). The results indicate that implementation is facilitated by cooperation among teachers, team practice, and administrators familiar with FBA, whereas implementation is barriered by a lack of time due to teaching duties, unsuitable environments to obtain specialized information, and fewer teachers with specialized knowledge.Bulletindepartmental bulletin pape

    エミリー・ヘイルと『ポッサムおじさんの実用的な猫の本』

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    『ポッサムおじさんの実用的な猫の本』(1939年)に収められた詩は,T. S. エリオットが名付け親となった子供たち,そして友人に,1936年から1938年の間に送った手紙に由来すると考えられている。だが,近年になって公開されたエリオットの著作を念頭に置くと,これらの猫の詩は,エミリー・ヘイルとの手紙をきっかけに書かれた可能性がある。上述の子どもたちが受け取ったよりも数年前の1931年に,ヘイルはエリオットから初めて猫の詩を受け取り,その後も幾つかの詩を受け取っているからだ。また,『実用的な猫の本』の増補版(1953年)に追加された「モーガン猫の自己紹介」は,ヘイルとの関わりから書かれた詩だと思われる。  エリオットから猫の詩を受け取っていたヘイルの役割に,本稿は着目する。そして,猫の詩を読み取ることで,エリオットとヘイルとの微妙な駆け引きが,猫と人間との関係を描いた詩に表現されているとする解釈を試みた。Bulletin翻訳Translationdepartmental bulletin pape

    執筆者紹介(掲載順)・奥付

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    札幌学院大学総合研究所経済研究部会規程・『札幌学院大学経済論集』刊行要領

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    Erasmsuʼs views on Social System and Free-will ─ From his perspective on married or purity-life as well as life in monastery/convent ─

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    本稿では,ユマニストであって,ギリシャのプラトンに強く影響されたエラスムスの社会観をいくつかの社会問題の観点から考察する。本稿では社会問題として結婚や純潔(貞潔)ならびに修道院の在り方を取り上げ,それらに対するエラスムスの態度から,エラスムスの社会観あるいは社会認識を解明することを本稿の目標とする。その上で,エラスムスのユマニストとしての態度と,中世にパリなどの都市に彷浪していたゴリアルド族の社会に対する態度との類似性あるいはその違い,また中世のシャルトル派の聖書解釈とエラスムスの思潮の12世紀からの連続性あるいはその違い,あるいは同時代ユマニストのエラスムスの思想に与えた影響やエラスムスの奴隷制に対する思潮乃至態度,さらに,エラスムスのプラトン主義の解釈についても本稿にて考察する。  本稿の前半では,エラスムスの社会観を結婚や純潔(貞潔)並びに修道院の在り方を巡る社会問題を通して明らかにする。本稿では,エラスムスの対話篇『恋する青年と乙女』ならびに対話篇『結婚をいやがる娘』を通して,社会的行為としての結婚,純潔あるいは修道院の在り方についての見解からエラスムスの社会観を明らかにする。同時に,本稿では,『福音書』や聖パウロの結婚観を基盤にし,エラスムスは,ユマニスムかつプラトン主義の観点から結婚や純潔ならびに修道院の在り方ついての問題に向き合っていることも検討する。始めに,エラスムスは,『聖書』を神からの啓示として受け止め,ユマニストとしてのエラスムスの「キリストの教え」(「キリストの哲学」)から織りなされる結婚や貞潔に対する態度の形成を明らかにする。同時に,エラスムスのプラトン主義の観点から彼の結婚観を説明する。エラスムスは,男女両性の相互の愛情に基づき,両者の相互合意を経て結婚,さらに,その上に結婚生活があり,最終的には,両者の「自由意志」による相互の合意に基づく結婚であるという結婚観を説明する。この「自由意志」に基づく結婚の合意がエラスムスの結婚観の特徴である。また,エラスムスは,修道院についても,修道院が「キリストに何の関係」があるのかと問い,その在り方に対する彼の態度をも本稿で考察する。  本稿の展開では,始めに,エラスムスは,『福音書』のイエス・キリスト並びにイエスの使徒たちの結婚観に強く影響されていることを検討し,エラスムスの結婚観は,神が合わせた(あるいは結婚している)二人は引き離(離婚)してはならないという前提に基づいていることを示す。このことは『マタイによる福音書』第19章3から4節の引用から明らかにし,エラスムスの結婚観がイエス・キリストあるいは福音書記者の結婚観を基盤としてることを説明する。すなわち,神の合わせた二人の間で成就した結婚(結婚生活)を解消することは出来ない,また,他の何人もその二人を引き離すことが出来ないというキリスト・イエスの結婚観の上に形成されていることを確認する。これは,結婚が解消不可能な両性の絆であるというローマ教会の見解とは齟齬することがないと指摘したい。  次に,エラスムスの結婚観が聖パウロにも影響さていることを明らかにする。聖パウロの書簡『コリント人への第一の手紙』第7章から,エラスムスの結婚観は聖パウロの結婚観を引き受けていることを確認する。それでも,エラスムスが,聖パウロのように信徒が神の霊を受け入れ,神に身をささげる独身者であることを強く望んでいるかどうかは判然とはしないことを指摘したい。筆者の理解する限りでは,エラスムスが信徒に独身であることを強制しているとは思われない。キリスト・イエスならびに聖パウロの結婚観は,本稿の第1節の第1項と第2項において,『聖書』からの引用を通して,それぞれ考察し検討される。  結婚観との関連で,同時に,今日でも問題にされる貞潔(純潔)についてエラスムスの見解を考察する。貞潔は,節制の一種であるが,過剰な情欲ではなく理性の制御が効いている情欲と規定される。結婚には性行為が伴うことから,エラスムスの時代には慣習的・伝統的に結婚が独身(純潔,貞潔)を否定するという見解が多数を占めていたと推測される。本稿では,結婚によって純潔(貞潔)が損なわれることはないというエラスムスの見解が展開される。具体的な生活では,貞潔(純潔)とは,性行為が完全に禁止されるのではなく,性生活に活力を与える情欲あるいは子孫の繁栄を願う為の行為であれば,貞潔を破ることにはならないというエラスムスの見解が示される。だが,当時の教会(ローマ・カトリック教会)は,結婚が純潔を否定する行為であると規定していたので,この教会の見解とエラスムスの見解は強く対立する。エラスムスの純潔(貞潔)についての見解は本稿第3節において示されるが,エラスムスは結婚生活においても貞潔が保持され得ることを堅く確信していることを明らかにする。これが,貞潔についてのエラスムスの見解である。エラスムスは,女性の価値をその処女性に求めるのではなく,その教養と品性に求めている,と筆者は理解している。  第2節では,第1節の第1項と第2項の考察を受けて,エラスムスの結婚観を具体的な対話から確認する。対話篇『恋する青年と乙女』から,対話者が必ずしもエラスムス本人とは言い切れないので,対話者の発言から組み立てられる結婚観が,必ずしも,エラスムス自身の結婚観であるとは言い切れないことに十分に留意し,エラスムスの結婚観を対話者から明らかにする。エラスムスは,キリスト・イエスや聖パウロの結婚観を基盤としているが,それ以上に,愛の情念が二人の間での合意形成には必須であることを強調する。結婚には,プラトンの説く「愛の情念」が働くことが必須であるとエラスムスは説いている。「愛の情念」と結婚の連続性については,第4節第4項で説明される。  また,エラスムスの結婚観は「自由意志」に強く結びつていることを明らかにする。エラスムスは,確かに『福音書』ならびに聖パウロの書簡で説かれている結婚観を受け入れている。仮に結婚相手が神によって決定されることを否定し得ないとしても,最終的にその相手との結婚を確定するのは,結婚する当事者の「自由意志」であるとエラスムスは主張する。本稿では,結婚する両者が神の啓示(「神による恩恵」)に従うことによって,自動的に結婚する相手が確定されるのではなく,目の前の相手が決められた結婚候補者であるとしても,最終的にその相手が自分の恋心を受け入れるか否かを確定するのは,両当事者であり,両者の「自由意志」であるとするのがエラスムスである。第2節第2項で示すように,実際には,自分自身の結婚候補の相手に自分自身の情熱的に燃える恋心を伝え,相手が自分を受け入れるように口説く必要がある。この意味で,結婚は「神による恩恵」によってのみ完全に決定されるのではなく,結婚する当事者の「自由意志」の作用が不可欠である。対話を通して二人が互に相手の結婚観に共感して,心と心を通い合わせて心と心が強く結ばれ,心を一つにする必要があるが,ここに「自由意志」が作用する。「自由意志」と結婚生活への不安については,本稿の第2節第4項にて考察されるが,結婚における「自由意志」の作用については,『聖書』のイエスや聖パウロには認められない論点である。これがエラスムスによって示された先駆的な結婚観の特徴であると高く評価される。  世俗社会での結婚が成就するには,「自由意志」の働きに加えて,結婚する個人を取り巻く社会の条件が満たされる必要があることをエラスムスは説いている。結婚のための社会的・慣習的要件が満たされることによって,結婚に関わるいくつかの不安が解消され,両者の結婚がよりスムースになるが,このことは,対話篇『恋する青年と乙女』では,恋する青年パンフィルスの語りによって明らかにされる。この条件は,第2節の第1項において説明されるが,それはいくつの条件から構成されていて,その第一には,「判断力から生まれた愛」 である。この愛とは,情熱に任せての「盲目な」愛ではなく,「理性の命じる」判断力からの愛である。すなわち,愛しているから美しく魅惑的であると愛に落ちるのではなく,適切な判断に裏打ちされた愛である。その第二では,結婚する相手の両親が清廉であること,すなわち,自分自身と結婚相手がよい生まれであることが必要される。エラスムスは,財産ではなく,また社会的名誉でもなく,清廉潔白な気質を条件に挙げている。その第三には,教養を身につけている女性(あるいは男性)が挙げられている。その第四には,両家の間で親密な交際が続いていること,また結婚する二人は相互に相手のことをよく知っていて,二人の家庭環境が相似していること が必要とされている。これは,相手の「この世」での情報がより完全に相互に知られていることを意味する。最後は,結婚に最も欠かすことの出来ない要件であるが,二人の性格が適合することである。  『恋する青年と乙女』のパンフィルスの言葉に「こういう結婚と独身とに,いったいどれほどの違いがあるだろうか」と語るところがあるが,当時のローマ・キリスト教会はその言葉には不快さを感じたと思われる。エラスムスは,純潔を肉体的な性行為としてではなく精神的に捉えて,結婚生活と純潔(独身)の間には大差ないと語らせているからである。これに対し,カトリック教会は独身(純潔)を第一位においていたので,その語りはカトリック教会への批判・非難と映ったと思われる。エラスムスは,子をもうける行為が神の「生めよ殖えよ」の意志には反していないこと,この姿勢が『聖書』の教えに叶っていると説いている。このエラスムスの見解は,当時としては,先駆的な見解であったと思われるが,独身を最高位においていたローマ教会にとっては,パンフィルスの言葉は異端者(カトリック教会の権威を認めない,あるいはこの見解に異議を唱える者)の言葉と捉えられ,1526年にパリ大学神学部は,全キリスト教徒による『対話集』の閲覧を禁止している。実際に,『恋する青年と乙女』の204ページ下9から206ページ上2行目までの箇所について,修道女の純潔を蔑視して,一方で結婚を高く評価する発言には反対するのであった。結婚観をめぐっては,エラスムスは,パリ神学部とは見解を異にしていた。  修道院制度をめぐっても,エラスムスとパリ神学部の見解は対立する。対話篇『結婚をいやがる娘』において,修道院の在り方についてのエラスムスの姿勢が明らかにされる。修道院を奴隷監禁所であるかのように語るエウブルスの言葉にエラスムスの本音がある。エウブルスは,カタリナに「君はその自由と束縛とを交換しようとしている。キリスト教の愛は古代世界の奴隷制をほとんど完全に滅ぼしてしまい,若干の地域にそのなごりが見られるだけである」,そして「こんどは宗教を口実にして新手の奴隷制が発明された。現在大部分の修道院で行われているのがそれなんだ」と語るが,これは,エラスムスの本心であろう。その言葉には,カトリック教会は反感を抱いたのは事実である。エラスムスは,修道院規則によって厳しく自由を拘束し修道士を縛り付ける生活について,「こんどは宗教を口実にして新手の奴隷制が発明された」と皮肉っている。修道院が新手の奴隷制になっていることにエラスムスは警戒し,そのような在り方に警笛をならしている。  エラスムスは,『結婚をいやがる娘』において,修道院制度そのもの存在意義を疑問視している。サクラメントでは洗礼が最も大切であるが,エラスムスは,神との交わりは,修道女にならなくとも叶えられると捉えている。エラスムスは,修道院に入会するときに,服装なたびに生活様式を変えるだけであるならば,修道院に入る必要はない,とエウブルスに語らせる。エラスムスは,ヴェールや服装などは祭式であって,「魂の清浄だけを嘉させるキリストの目には三文の価値もない」と語らせ,洗礼は修道院に入るか否には関係しないとう自説を語らせている。パリ神学部は,修道院の価値を貶めるエウブルスの言葉にも反対する。修道院制度をめぐっても,エラスムスとパリ神学部の見解は対立している。エラスムスの修道院の在り方に関する見解は,本稿第3節において示される。  本稿の後半である第4節において,エラスムスの結婚観や修道院の在り方について彼の社会観を支える思想あるいは哲学を明らかにする。二つの対話篇から,エラスムスがキリスト教的ユマニスムの姿勢だけではなく,またプラトン主義の哲学にも影響されていることを明らかにする。それをより鮮明にする為に,エラスムスと当時の神学や教会と如何なる関係にあったのか,さらにエラスムスとキリスト教会あるいはパリ神学部の間での摩擦あるいは軋轢を確認する。第4節第1項と第2項において,ユマニスムの視点から,12世紀ユマニストとエラスムスの類似性や違いついて,さらに,奴隷制を巡る問題についてもエラスムスの見解を紹介する。  第4節第3項において,エラスムスの結婚観がプラトン主義の哲学の影響を受けていることを説明する。「神の霊感に捕らえられた人間は,なにも聞かず,何も見ず,なにも嗅がず,たとえ君がその人間を殺しても,彼はなにも感じない」と対話者が語るときには,彼は,プラトン(あるいは新プラトン派)の哲学の影響下にある。エラスムスは,「可視的な世界」から「不可視的な世界」に梯子を登るように,天球から天上界に昇っていくことによって,真の実体を見るというプラトンの見解を共有する。感覚で捉えた事象世界から知性界に昇ることによって,真実に近づくことができる。知性界に向かうことは,神の霊に照らされることであり,知性界では感覚を失うことから,感覚としては「なにも聞かず,なにも見ず,なにも嗅がず」そして,「なにも感じない」。だが,魂が天上界(知性界)に昇っていき,真の実体としての愛(エロス)を見ることになる。目の前にいるマリアの美しさから,真の美を悟り,パンフィルスは,真の実体を悟るのである。そのとき,魂はパンフィルスの肉体を離れ,パンフィルスの魂がマリアに乗り移っていて,パンフィルスは「僕は死人で君は人殺しだ」と語ることができる。マリアにパンフィルスの魂が乗り移ったのは,パンフィルスの魂が「愛の情念」を受け取ったためである。魂の乗り移りだけではなく,可視的世界から不可視的世界に昇っていく発想,さらに知性を聖霊に関係づけることにおいても,エラスムスは,プラトンならびに新プラトン派の哲学の影響下にあることは明らかである。Bulletin論文Articlesdepartmental bulletin pape

    小学校音楽科における音楽づくりの授業構築に関する考察 教育科目「音楽科指導法」における学生の学びを通して

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