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    メイジキ デントウガハ ノ シテキ ケンキュウ ケイショウ ト テンカイ ノ ショソウ

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    学習院大学Gakushuin University博士(美術史学)Doctor of Philosophy in Art History明治20年(1887)、龍池会は有栖川宮熾仁親王を初代総裁に戴き、日本美術協会として発展的に改組された。同会は皇族、華族、宮内省、農商務省などの強力な支援のもとで、南画、南北合派、江戸狩野派、土佐住吉派、円山四条派といった国内の伝統的な諸流派の画家たちが参集した巨大美術団体へと成長する。  しかしながら、現在の日本近代美術史研究において、日本美術協会系の画家たちに対する認識と評価は漸進的な歩みに留まっている。画壇で対立関係にあった日本美術院の画家たち、なかでも横山大観、菱田春草らに高い評価と関心が寄せられている状況とはきわめて対照的である。このような状況に至ったのは、「新派」系の日本美術院に対して、日本美術協会系が「旧派」とみなされたことも要因にある。「旧派」側の動向は、進歩史観で形作られた日本近代美術史のなかでは、革新勢力に対する退嬰的な反発として否定的に捉えられ、彼らの芸術自体に過小評価をもたらしている。  本論文では「旧派」に替わる「伝統画派」の使用を提起する。明治期の伝統画派に共通してみられる特徴として、表現様式の継承、流派への帰属意識、公的な絵画事業への政府による積極的な登用が挙げられる。本論文が目的とするのは、伝統画派の考察によって従来の「旧派」観を刷新し、「新派」中心に築かれた日本近代美術史のなかで伏流となった彼らの業績に光をあて、再評価することにある。伝統画派の画業を顧みることで、「創造と革新」に評価の重心が置かれ、新旧の二項対立の図式で語られてきた美術史観を再考する。そのうえで、伝統の継承こそが求められた「場」の問題、同時代の文化的背景、各画家が築いた人的ネットワークにも視野を広げ、明治期の日本画壇の多重構造を解明することを試みる。  なお、伝統画派の「継承と展開」は、絵画様式の継承と展開であると同時に、流派それ自体の継承と展開を二重に意味する。「家」を中心とする組織としての流派が解体された後も、明治期の伝統画派は師承関係などさまざまな形で濃厚に人的連続性が保たれており、その象徴的行為として流祖の顕彰や流派儀式の継承が行われていた。本論文ではこのような画家たちの心性史も考察の対象とする。  第一部では、維新後の江戸狩野派がどのように流派の存続を図り、継承を模索したのかを考察した。第一部第一章では、奥絵師四家のうち、明治維新に際して唯一幕臣に留まった鍛冶橋狩野家について、十代目当主・狩野探美守貴の動向を中心に論じた。形式的な節義の表明とされてきた幕臣残留について、公文書などから事実関係を検証し、実際には探美が早い段階で新政府への帰順(朝臣化)を申請していたこと、幕臣残留は家督相続をめぐる混乱に起因した可能性を指摘した。また、皇居御造営など、探美が明治政府の公的な絵画事業に登用された背景に、御用絵師としての前歴に対する評価があったことを述べた。さらに、探幽の顕彰や鑑定といった活動、ポスト探美世代の画家たちによる江戸狩野派再興の動きにも着目し、鍛冶橋狩野家が伝統画派の中心となっていく過程を考察した。  第一部附論では、河鍋暁斎『日蓮大菩薩聖迹図伝』(明治18年)を考察の対象とした。日蓮の一代記を描いた同書の挿絵が、先行する小川泰堂著・長谷川雪堤画『日蓮大士真実伝』(慶応3年初版、明治17年再販)を参照していることを図像同士の比較によって検証した。また、江戸狩野派と暁斎が日蓮信仰を共有している点、近代における日蓮宗出版史も踏まえながら、『日蓮大菩薩聖迹図伝』挿絵の成立過程を明らかにした。  第二部では、従来、狩野芳崖とともに日本画革新運動を牽引した画家とみなされてきた橋本雅邦について、江戸狩野派との関わりからその画業を再考した。雅邦は「新派」系の鑑画会に参加したことに加え、教え子の横山大観、菱田春草らが「新派」の代表格とされたことで、雅邦もまたその源流に位置づけられてきた。いっぽうで、雅邦の初期画業にみられる江戸狩野派の粉本主義の影響、さらに晩年の木挽町狩野家儀式の継承の意図については、十分に検証されてきたとは言いがたい。第二部では、近代日本画の父としての雅邦像とは一線を画し、江戸狩野派の継承者、伝統画派としての視点から新たな雅邦像の提示を試みた。  第二部第一章では、明治10~20年代半ば頃の作品と比定される《四季花鳥図》(島根県立美術館蔵)、《春秋山水中士農図》(個人蔵)を手がかりに、雅邦による江戸狩野派の図様学習の実践と作画への応用を検証した。《四季花鳥図》には探幽粉本の影響がみられ、《春秋山水中士農図》には幕末における江戸狩野派の山水画様式との共通性が認められる。この2作品を通じて、雅邦における江戸狩野派様式の継承を明らかにした。  第二部第二章では、《四聖像》(東洋大学井上円了研究センター蔵)を中心に、雅邦と哲学者・教育者である井上円了との交流、円了思想の絵画化の問題を論じた。本作は釈迦、孔子、ソクラテス、カントといった東西の宗教家、思想家、哲学者が描かれた集団肖像画である。本作は円了の哲学・教育観の中心にあった「四聖」のイメージに基づいて制作され、円了が主宰した哲学祭の尊像であった。本章では、描かれた聖賢たちの図像について、江戸狩野派の粉本の影響と円了から提供されたイメージ・ソースの存在を明らかにした。また、本作に先行する渡辺文三郎《四聖像》との相違点を踏まえて、雅邦に作画が依頼された理由を考察した。最後に明治期の聖賢表象の問題と絡めて、本作が占める位置を論じた。  第二部第三章では、雅邦晩期の水墨山水画について《四季山水》(徳富蘇峰記念館蔵)を考察の対象とした。本作は徳富蘇峰の旧蔵品であり、雅邦晩期の水墨山水画の特徴をよく示す。本作が描かれた明治30年代は、大観、春草らの駆使する没線主彩の描法・朦朧体が画壇で論争を引き起こしていた時期であり、雅邦が牧谿や玉澗などの筆法に倣い、朦朧体に対する自身の理解と応用を晩期の水墨山水画で示した可能性を指摘した。  第二部第四章では、最晩年の雅邦と研究団体・二葉会の関係について論じた。雅邦が同会で後進を育成し、次世代の画家たちに木挽町狩野家の儀式、行事を継承するなど、江戸狩野派としての自覚を深めていく過程を検証した。  第三部では、皇室、宮内省からの委嘱制作に登用された伝統画派を論じた。戦前の日本において、皇室、宮内省のために彩管を揮った画家たちは、展覧会とは距離を置きつつ、長期間にわたって託された仕事に専従することも多く、完成した作品も一般に公開される機会をもたなかった。第三部では、遺された作品や資料からこれら伝統画派の活動の実態を明らかにした。  第三部第一章では、南画家・山本琹谷が描き、明治天皇に献上された《艱民図》(皇居三の丸尚蔵館蔵)の成立と伝来を検討した。《艱民図》は琹谷による画巻と、小野湖山の詠詩による題画詩巻からなる。画巻は明治3年(1870)に旧津和野藩主・亀井茲監から明治天皇へ献上され、詩巻は明治16年(1883)に旧津和野藩士の国学者・福羽美静から献上された。本章では、琹谷と福羽を取り巻く人的ネットワークの作用、『御製耕織図』や中国清代絵画からの図像的影響を指摘し、勧戒画としての一貫した構想と機能を明らかにした。  第三部第二章では、田中有美による新出の《三條内府公事蹟画巻御下絵》(皇居三の丸尚蔵館蔵)を紹介するとともに、本画である《三條実美公事蹟絵巻》(皇居三の丸尚蔵館蔵)の制作過程を考察した。有美は幕末明治期を通じて朝廷、宮内省の庇護下で重要な作品制作に携わったが、その制作環境などの実態は判然としない。本章では、新出下絵と関連文書の分析を通じて、宮内省側から有美への具体的な指示を確認しつつ、《三條実美公事蹟絵巻》の成立過程や制作環境を明らかにした。 第三部第三章では、やまと絵画家・高取稚成の画業を皇室との関係から考察した。稚成は皇居御造営の絵画事業に参加したほか、大正期から昭和初期にかけては、明治神宮外苑聖徳記念絵画館の壁画、皇室関連の記録絵巻を制作した。本章では、住吉派継承者であった稚成の古様な画風を求めた受容者層の問題と絡めて、伝統的なやまと絵画家の軌跡をたどった。  第三部附論では、明治から昭和期にかけて活動した「旧派」系日本画家・池上秀畝の《國之華》(皇居三の丸尚蔵館蔵)について、桃山美術受容の観点から論じた。大正期の秀畝は実景写生に南画の筆致を加えた「山水花鳥画」で知られたが、桃山美術の装飾性への傾倒から金地大画面の装飾的な花鳥画へと転換していった。「旧派」の代表的な画家とされる秀畝の画風変遷に着目し、伝統画派の継承と展開に関わるケーススタディを提示することを試みた。 以上、本論文では伝統画派の継承と展開の諸相を、画家の個人史、作品の生成、社会情況、思想・文化の影響、人的ネットワークの作用が複雑に交錯する様相を総合的に考察し、終章では本論文全体の分析を通じて得られた展望と課題について述べた。application/pdfdoctoral thesi

    シンコウコク ノ クロスボーダー トリヒキ ニオケル ツウカ ノ センタク ジンミンゲン コクサイカ エノ ゴウイ

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    学習院大学Gakushuin University博士(経済学)Doctor of Philosophy in Economic21世紀入り後、中国の世界経済・貿易におけるプレゼンスは大きく高まり、現在中国は、名目GDPで見た経済規模では世界第2位、貿易シェアでは世界の最大の地位を占めるに至っている。こうした中、中国の通貨である人民元の世界の為替取引におけるシェアは増加傾向にあるが、依然として世界経済・貿易における中国のプレゼンスの大きさに比べると小規模にとどまっている(BISのデータによると、2022年4月時点で人民元のシェアは米ドル、ユーロ、日本円、英ポンドに次いで第5位)。この背景には、中国とのクロスボーダーの資本取引にさまざまな規制が存在するため、資本取引絡みの人民元取引が相対的に小規模にとどまっていることや(通常、資本取引関連の為替取引の規模は貿易など経常取引関連の為替取引と比べてはるかに大きい)、人民元の取引自体にも規制が存在するため、決済通貨(インボイス通貨)として選択されづらいことがあると考えられる。 人民元がクロスボーダー取引のインボイス通貨として選択されない背景には、上述した取引規制に起因する使い勝手の悪さのほかに、所謂「三角貿易」の問題があると考えられる。21世紀初頭の中国は、輸入した中間財を国内の安価な労働力を利用して組み立て、製品の最終需要地である第三国に輸出する「世界の工場」として急成長を遂げた。三角貿易の最終需要地は先進国である場合が多いが、たとえば中国がタイから輸入した部品を組み立てて米国に輸出する場合、この製品の最終需要者である米国企業は中国との取引を人民元ではなく米ドルで行うことを望むと考えられる。 もっとも近年では、中国が製品の最終需要地となるケースが増加している模様である。加えて、西側諸国が経済制裁の一環としてロシアを国際的な金融メッセージング・サービスであるSWIFTのネットワークから排除したこと等を受けて、一部の国ではクロスボーダー取引の決済を米ドルに依存することのリスクに対する懸念が強まっている模様である。 世界の貿易・資本取引において米ドルが支配的な地位を占めていることはよく知られている。この大きな理由の一つはネットワーク外部性に起因する米ドルの取引コストの低さであると考えられるが、地政学的・政治的リスクに起因する潜在的なコストが経済的なコストの低さを相殺してあまりあるほど大きくなっているなかで、いくつかの国ではクロスボーダー取引における米ドルへの依存度を低下させるインセンティブが高まっている可能性がある。こうした状況下で、中国との経済的結びつきが強い国では、対中国のクロスボーダー取引で人民元を使用するケースが増加する可能性がある(実際、ロシアでは欧米による経済制裁の後、対中国貿易における人民元決済のシェアが大きく上昇した)。 本論文では、2種類の通貨の選択-「インボイス通貨の選択」と「アンカー通貨の選択」-について、主に人民元との関連で検討する。 「インボイス通貨の選択」は主として企業レベルのアクションであり、その総体として一国の貿易におけるインボイス通貨の構成(ある国の輸出の7割が米ドル建て、など)が決まる。他方、完全変動相場制以外の為替相場制度を採用している国ではどの通貨に対して自国通貨の為替レートを安定させるかという「アンカー通貨」の選択が行われるが、これは為替相場制度と密接に結びついた、国レベルのアクションである。 本論文は、こうしたことを踏まえた上で、「世界経済・貿易における中国のプレゼンスの高まりは、インボイス通貨・アンカー通貨として人民元が選択されるケースの増加につながるのか」、「今後人民元がインボイス通貨・アンカー通貨として選択されるケースが増加するとすれば、何がその条件となるのか」、「インボイス通貨・アンカー通貨としての人民元の選択は、人民元の国際化・基軸通貨化にどのような影響を及ぼし得るか」といった問いに対して回答を試みるものである。 本論文の構成は以下の通りである。第1章では、中国経済と人民元を取り巻く状況について概観し、インボイス通貨、アンカー通貨の選択に関する先行研究のレビューを行った上で、本論文の問題意識を明らかにする。第2章では、貿易の相手国別・通貨別データが利用可能なタイのデータを用いて、新興国間貿易におけるインボイス通貨の決定要因について分析する。第3章では、人民元をアンカー通貨とする「人民元経済圏」を特定する。アンカー通貨が不明な国については、Frankel-Wei(1994)の手法を用いてアンカー通貨を推定する。また、推定結果の人民元国際化・基軸通貨化への含意について検討する。第4章では全体を要約した上で今後の研究課題について述べる。application/pdfdoctoral thesi

    言語基準、方言選択、特権意識

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    application/pdf研究論文departmental bulletin pape

    キョウドウ ツウシンシャ ノ ハイシン キジ ニヨル メイヨ キソン ト ハイシン サービス ノ コウベン

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    application/pdf論説(Article)departmental bulletin pape

    シャカイカ ニオケル テツガク タイワ ノ ジッセン シュタイテキ ガクシュウ ドウニュウ エノ ゲンジツテキ ナ センタク

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    application/pdf既に施行された新学習指導要領ではアクティブ・ラーニングの本格的な導入が盛り込まれた。しかし、教育現場では新しい教授法に対する強い不信感が今もなお根強く残る。アクティブ・ラーニングの導入を推進する教育行政との温度差を埋めるべき現実的な打開策として、「哲学対話」を社会科に導入することを提唱する。哲学対話について、その定義や目的などに触れることに始まり、これを慎重に実践すべくディベートとの比較も通じて、その長所・短所についても掘り下げる。哲学対話を導入した社会科の授業展開例を学習指導要領に沿いながら科目ごとに提案する。そして哲学対話を社会科へ導入することから次のようなことが期待される。生徒が主体的に考えること。生徒の学習活動において根源的な追求を可能にすること。生徒が他者の意見を尊重することから、多様な視点について理解できるようになること。実施のための準備が容易であり、導入しやすいこと。教員の側にも効用が多いこと。研究論文departmental bulletin pape

    The Archival Institution and Training in France Today : From the Perspective of a Student of the Ecole nationale des chartes

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    application/pdf講演departmental bulletin pape

    Letʼs Study Archival Science : From a Student

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    application/pdf報告2023年度入試説明会講演departmental bulletin pape

    Letʼs Study Archival Science : From a Graduate

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    application/pdf報告2023年度入試説明会講演departmental bulletin pape

    ヨル ノ ネザメ カタシロテキ アイ ノ ユクエ ショウショウ ト シン ショウショウ

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