Bukkyo University
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The Case of the Quasi-Appeal against the Disposition Made by the Public Prosecutor not to Permit Inspection of the Case Records (Fukuoka District Court 2020 (Mu) 793)
筆者は,「犯罪」現象や刑事司法の社会学的研究のため,刑事確定訴訟記録の閲覧を行ってきた。日本では,憲法82 条が裁判の公開原則を規定し,刑事訴訟法や刑事確定訴訟記録法が,判決確定後の訴訟記録について閲覧自由の原則を定めている。しかし制度や運用上の制約から,刑事確定訴訟記録にアクセスすることは必ずしも容易ではない。ここで紹介するのは,検察官による刑事確定訴訟記録の閲覧制限に対して,筆者が不服申立てをした事案の記録である。裁判所は,不許可通知を欠く検察官による閲覧制限を実質的な閲覧一部不許可処分と認定したうえで,筆者による研究目的での閲覧には「正当な理由」がある等として,筆者の申立てを認容した。本資料は,刑事訴訟法や刑事確定訴訟記録法の解釈・適用に関する法律学の研究対象となるのみでなく,記録閲覧実務の現状把握や,刑事裁判の公共性についての社会理論的考察にも資するだろう。刑事確定訴訟記録準抗告刑事裁判と社会
SUEHIRO MIKOSHI: Origin of the Performing Mikoshi Carrier Style
筆者は、京都の御霊祭に出る末廣神輿の独特の神輿の舁き方に興味を持ち、神輿舁き集団の成立や来歴についての文献調査および聞き取り調査、参与観察を進めてきた。その結果、末廣神輿が独特の舁き方の背景には、地域や祭礼の歴史や、祭礼参入の事情、神輿舁き集団の来歴、地域住民としてのアイデンティティの確立等が深く関わっていること、末廣神輿の祭礼参入とその特異な実践が、多くの京都の祭礼に見られる変化と同じく、明治以降の社会、文化の変転の中で現れた現象であることが判明した。以上のことから、神輿舁たちが「なぜそのように神輿を舁くのか」という問いは、これまでほとんど注目されてこなかったが、祭礼研究における本質的な問いであることを提起した。都市祭礼神輿舁き御霊祭(京都)末廣神輿祝
Sanshu Tile Master Nagasaka Mokube Family Tile-Making
本論は、天明年間より太平洋戦争までの永坂杢兵衛家七代の瓦づくりを論じるものである。永坂杢兵衛家は、三州瓦主産地の碧海郡棚尾村で製瓦業を営み、自家の記録を残した。天明の頃、二代目杢兵衛は、京都に上り当時の最先端技術を三河へ持ち帰っている。四代目杢兵衛は、明治九年、愛知県の特命を受け米国費拉特費府万国博覧会に三州瓦を出品している。杢兵衛家の瓦は、質、量ともに三州瓦産地の先駆的役割を果たしてきた。本論では、まず永坂家での徒弟制度を経て、瓦師職工への育成がいかになされたかを明らかにする。続いて、これら瓦師職工は、いかなる技術で設備、道具、窯等を使いこなし、瓦生産を行ったかを明らかにするものである。現在、国産瓦の七〇%以上は、三州製瓦工場で自動化された設備で大量に焼成されている。機械化される以前、三州棚尾村で行われた手作りの時代の瓦づくりを明らかにすることに意義がある。三州瓦徒弟制度棚尾村永坂杢兵衛粘
Malta and Its Industries, N. Zammit (Compiler), H. Vella (Translator), (London, 1886), (4)
本稿は、『歴史学部論集』第7、9-10号に引き続き、1886年に出版された『マルタとその産業』の第4-5、8-10章を訳出したものである。訳出の目的や同書の書誌情報など詳細については、前掲号までの文献解題を参照されたい。 今回の訳出箇所では、前掲論稿まで述べてきた19世紀後半のマルタ産業の状況とその障害を踏まえ、その解決策として、当時のマルタにおける教育や文芸の特長が解説されている。特に文芸に関しては、マルタ人芸術家たちの活躍や島外への影響を念頭においた記述がなされており、直轄植民地としてのマルタの有望さとマルタ人の有能さを強調することで、編集者たちが宗主国イギリスの関心を買おうとする様子をみてとることができる。 なお本稿内の註は原著のものであり、史料中の[ ]内は訳者による付記である
A Close Examination of Incomprehensible Practices in Contemporary Social Welfare : Focusing on the Introduction of Social Science Recognition Perspectives
日的な社会福祉の世界において,「実践(性)」そのものが一人歩きし,「実践主義」が横行している現実が,多々,見受けられる。何の制約性・拘束性も有しない「実践主義」の暴走をくい止め,社会科学的視点にもとづく社会福祉理論に導かれた「実践(性)」を取り戻す必要がある。社会科学的視点から切離され,一人歩きする「実践主義」(「実践至上主義」,「実践万能主義」)を戒め,「実践(性)」というものの正しい位置づけや役割などを取り戻し,真の科学的意味合いを有する社会福祉の「実践(性)」を考える必要がある。しかし,この「実践(性)」を否定するものではなく,そして,無視し軽視するものではない。この「実践(性)」は必要不可欠なものであり重要なものであることは言うまでもない。だだ,実践主義を戒めるものである。実践主義社会科学的研究方法実用至上主義主体性社会福祉の思
Study of Iwaki Mountain Worship and Ritual Clan: A Reading of “Zyubo Engi”
本稿は、近世前期における岩木山信仰について、下居宮祀官をつとめた安倍氏の文献から考察するものである。明治以前に岩木山神社は、百澤寺と山麓の下居宮、山頂の奥宮にわかれ、下居宮は安倍氏が代々神職であった。岩木山信仰の縁起は、数多く紹介されているが、元禄期に安倍仲満が撰した『十坊縁起』下居宮の記述は、これまで取り上げられたことはない、以上の研究状況に対し、本稿はまず近世前期の岩木山信仰と縁起の言説をまとめ、そのうえで『十坊縁起』を紹介する。続いて岩木山安倍氏と津軽安藤氏およびその伝承との関係を考察し、最後に『十坊縁起』の神道説を読むことから、仲満が創り出した岩木山信仰を位置づける。津軽岩木山信仰岩木山安倍氏津軽安藤氏『神祇講式