Bukkyo University
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Reasons for the Introduction of Ceramic Machinery in the Nishimikawa Roof Tile Production Area: A Case Study of Shinkawa-cho, Hekikai-gun, and Surrounding Areas in the Taisho Period
本稿の目的は、大正期、製瓦先進地を誇ってきた西三河(碧海郡)瓦産地において、窯業機械を導入した要因を明らかにするものである。明治後期頃より国内各地では新興瓦産地が現出した。大正期に入ると碧海郡を中心とした西三河瓦産地では、生産量、生産額の減少傾向が見られるようになった。製瓦業者は、窯業機械の導入により製瓦先進地の地位復興を図ろうとした。 明治期は、国内の家屋が板葺き、草葺きから瓦葺きへ移り変わる時代であった。瓦需要は高まっており、瓦師の出稼ぎ、移住などの人的交流により、全国各地で続々と瓦産地が誕生した。また、大正期には窯業機械の導入が各地で始まり、生産量の増加が見られた。全国の瓦産地が発展する中で、碧海郡の瓦生産額は相対的に低下していた。西三河瓦産地では、安価で高品質、より多くの生産量を求め、積極的に土練機、荒地製瓦機、製瓦機等を導入し、手工作業製瓦からの「脱却」を図った。三州瓦土練機製瓦機荒地出し機石炭
M. Maruyama’s Insights into “Modern”, “Anti-Modern” and Nationalism : A Study from the Viewpoint of Intimacy/Integrity”
丸山眞男は,荻生徂徠の「自然から作為」に日本近世における近代化の萌芽を見出した。それは,近代化の過程において意識と社会(秩序)の間に生じるはずの決定的な認識論的転回であった。この認識論的転回を,T. P. カスリスが日本と欧米文化の差異から提案したIntimacy-Integrity 図式を使って考察することにより,合理的抽象性と非合理的情緒性(特にナショナリズム)の間で一見矛盾する丸山近代化論の理解を試みた。この考察から,丸山の語る近代国家(中性国家)とは,意識と社会が分離し,抽象化されたうえで外在的規範に統合されるというIntegrity 社会構造であること,そして,丸山の掲げた「永久革命としての民主主義」は,認識論的に相互理解が極めて困難な二つの意識,Intimacy の意識(ナショナリズムなどの一体的価値を情緒的に追求)とIntegrity の意識(普遍的価値を合理的に追求)を糾合させた大衆運動によって追求されるものであることを指摘した。個人析出丸山眞男カスリス永久革命認識論的転
A Study of the Legal Structure of “Community School”
本稿は,2004 年の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」改正に伴って導入された学校運営協議会の組織構造について考察するものである。保護者や地域住民の学校行政への参加を担保する仕組みとして,その民主主義的要素が強調される傾向にあった。本稿は,従前より「参加」という行政手法について議論の蓄積のある公法学(特に行政法学)の視角から,より詳細な分析を試みたものである。学校運営協議会参加民主性専門
The Implications of Less Than Double the Disparity of One Vote
日本では1 票の重みの最大較差を2 倍未満にすることが政策目標とされてきた(これを2 倍基準と呼ぶ)。本稿では一般的なケースに対象を絞り「較差=2 倍」を境に議席配分の問題がどう変質するかが分析され,次のことが明らかにされた。(1)1 議席の移転,総定数の1 増,2 地区の合区という最小限の手段によって2 倍超の最大較差は必ず縮小できるが,2 倍未満のそれは縮小できるとは限らない。(2)最大較差2 倍超の最適配分(所与の地区数・人口分布・総定数の下で最大較差を最小化する配分)は一意に定まり,全体的な平等性の点でも大きな瑕疵は無いが,最大較差2 倍未満の最適配分は複数存在可能であり,そこには明らかに不平等な配分が含まれうる。これらの事実は,最大較差の縮小という政策目標の達成が「較差=2 倍」を境に容易かつ有益なものから困難かつ有益とは言い難いものに変質することを意味し,「2 倍基準」を実質的に根拠づけるものと結論された。最大較差2倍基準2倍原理ローレンツ優
A Study of the Structural Characteristics of the Main Shrine Deitiesin the State Based on the “Ritsuryo” Code : An Analysis of Ichinomiya, Ninomiya, and Sannomiyafor Shrine and Temple Tourism
コンテンツツーリズムは,ストーリーやキャラクターなどの諸要素が意味を付与する現場を訪れ,身体的な実感を目的とする新しい観光である。その広義の概念に含まれる「社寺観光」のうち,「神社巡り」に向けて各社・各宮の主祭神がもつ構造特性を分析し,実践と研究の見通しを立てるための知見を示す。令制國の一宮・二宮・三宮を研究対象とし,神宮と律令制の68 箇國に鎮座する197 社の主祭神147 柱を体系化する。主祭神の出現回数,[地方]と主祭神との対応関係,「五畿七道」における[三大祭神]の出現比率を明らかにする。第1 に,東日本の神社に卓越する大国主神を祀っている神社が全國最多を占めていることが明らかとなった。第2 に,九州では天皇・皇族,西日本では天津神,東日本では国津神を祀っている割合がそれぞれ最も高いことが判明した。第3 に,対応分析の結果,五畿と南海道が最も乖離した。コンテンツツーリズム社寺観光神社巡り令制國主祭
Four Stages of Development in the History of Chinese Sociology from the Beginning of the 20th Century to the 1930s
この訳稿は,1931 年4 月の『社会学刊』(第2 巻第3 期,中国社会学社)に掲載された蔡毓ソウの「中国社会学発展史上的四個時期」の全訳である。蔡は,「序」で中国の先秦諸子,古代ギリシャの哲学者プラトン,アリストテレスらの社会思想を社会学とは異なるものとしているし,また中国にはもともと社会学は存在せず,西洋から直接的に,日本から間接的に輸入されたものと述べている(1)。つまり,社会思想と社会学を峻別し,社会学は中国固有のものではなく輸入品であるとしている。蔡は,厳復がH. スペンサーのThe Study of Sociology(1873)を『群学肄言』というタイトルで翻訳・出版した1903 年から,自らの論文が擱筆された1930 年12月までの30 年弱の中国社会学の歴史を4 期に区分して論じている(2)。すなわち,第1 期:社会学が最初に輸入された時から1910 年代初期までの輸入期,第2 期:1919年の学生運動の直前から1925 年までの移植期,第3 期:1925 年から1930 年までの萌芽期,第4 期:1930 年ごろにようやく入ったとする建設期の4 期である。蔡は,1925 年5 月30 日の五・三〇運動が中国社会学の発展史上の重大なキーポイントとなるといい,萌芽期はこの時にはじまるとした。われわれはこの蔡毓ソウの論考をとおして,中国の社会学の30 年間にわたる発展の推移とその内容を具体的に知ることができる。訳者は,一つの学問の成立は研究者数が一定数に達した時,一定数の大学にカリキュラムが開設され,学科,学部が設置された時,学術団体が創設され,かつ機関誌が発行された時,他の学界,行政,さらに一般社会にその学問が認知され広まったばあいなどが指標になると考えている。だとすれば,まさに中国社会学の確立の過程を知ることができた