Bukkyo University
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Study on Cinnabar and Pearl of Gishiwajinden: Religious Folklore Recognition on Wa (An Ancient Japanese Country)
Myōe’s Zaijarin, Volume II: Reading and Annotation (4)
承前(『佛教大学法然仏教学研究センター紀要』第一号・二号・三号)明恵『摧邪輪』訓読文註
The Historical Environment Surrounding the Food Offering Cups in the Gishiwajinden
魏志倭人伝の倭人の飲食の文化に関する「食飲するに籩豆を用い手食す」について、経書・礼書では籩や豆は礼楽における祭祀に用いられた供膳具であり、君臣関係や階層的序列を重視する礼制においては階層や祭儀の場面によって異なることを示した。出土遺物の点からは、戦国時代に盛行した豆に代わって、漢代にいたると耳杯が広く用いられるようになり、このような豆の衰退を東夷伝の冒頭にみえる東夷は俎豆の象存るが、中国礼を失した、という記述の背景となる考古学的事実としてとらえた。考古学的事象が示すように、陳寿は魏が籩豆が衰退した点から礼の失した社会であるとみなし、俎豆を用いたとする東夷のなかにあって、倭に関しては礼器として不可欠な籩と豆が備わっているという伝聞を特記したものと考えた。倭の高杯が土器と木製品からなるという記述そのものは、実際の見聞を背景としている可能性がたかく、倭における木製品と土器の高杯の併用に基づいた伝聞が、陳寿をして礼楽の実修と認識させるにいたったと考えられる。魏志倭人伝ヘン豆杯耳豆杯高
Philosopical Background of the Large Scale of the National Granary System and its Effects in Joseon Dynasty
本研究の目的は,朝鮮王朝の防貧・救貧制度である倉制度(還穀制度)が大規模化したことの説明を思想的観点から試みることである。倉制度は中国の産物であり法家的制度であったが,それを輸入した朝鮮王朝ではそれを全くの儒家的制度として解釈しており,それがその大規模化の一因をなしたことを明確にしたい。法家思想においても倉制度の目的の1つは飢饉の際に貯蔵穀をもって貧民を救済することにあったが,米価格の変動から農民の生活を安定化すること,勤勉で自立した農民を養成することがより重要な目的であった。ところが,儒家の影響がほぼ絶対的であった朝鮮王朝では,還穀はもっぱら国王の仁政を実現する手段として捉え,ほぼ全人民への穀物提供が日常化された。また,本研究は,還穀制度が大規模に実施されたことが,朝鮮社会の貧困観,民衆の貧困に対する態度,そして全体としての社会経済システムにどのような影響を与えたのかについても検討する。本研究は基本的には文献研究であるが,韓国で倉制度を専門的に研究してきた歴史学者からのヒアリング,そして韓国歴史研究会での研究報告と意見聴取などの研究方法を併用した。朝鮮王朝救貧政策倉制度環穀制度法家思
Difference between security policy and voluntary crime prevention activities in the region : A case study of Soka City, Saitama Prefecture
生活安全条例制定にともなって2000年代に急増した自主防犯活動は,ときに非難されることがある。しかし,その多くは背景にある割れ窓理論とそれを推進する政策への批判であり,実際の現場とはかけ離れているのではないだろうか。そこで,本稿では埼玉県草加市で活動する団体への参与観察を通じて,治安政策と地域住民による自主防犯活動のズレを検証した。 その結果,割れ窓理論に基づいた政策を共に推し進めようとする行政や警察に対し,それとは別の志向性で自主防犯活動に参加している住民の姿が観察された。隊員の世界観は多様であり,「監視社会」「排斥の手段」といった負の側面は見受けられない。また,自主防犯活動団体から行政や警察へ働きかけるという新たな関与の方向性も示唆された。したがって自主防犯活動は,そのまま割れ窓理論を実践する鏡として位置づけるのではなく,その地域性・主体性をも含めて観察していく必要がある。生活安全条例自主防犯活動割れ窓理論犯罪機会論治安政