Bukkyo University
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The World Reflected through Blurred Eyes: A Study of Mei Yaochen’s Depiction of Ocular Conditions
梅堯臣の「目昏」詩は、眼病でかすんだ視界という特殊な主題を扱うにも関わらず、描写には極めて簡素な表現を用いている。眼病にまつわる詩を大量に残した先人白居易の詩と比較すると、その淡泊な描写こそが梅堯臣の狙いであることがわかる。視覚的な魅力に頼らない描写を追究したこの詩作は、慶暦後期に行われた創作上の試みの一環である可能性も考えられるが、梅堯臣はこれ以降、眼病を詠じる詩の中でかすんだ視界を積極的に描写することはなかった。宋詩梅堯臣眼
What Batons Should CODA (Children of Deaf Adult/s) Pass on through Successive Generations?:From Voices of CODA Rearing Children
聞こえない親を持つ聞こえる子ども(Children of deaf adults,以下「コーダ」とする)は親が所属するろう者の世界と,家庭の外にある聴者の世界の両方から影響を受ける特有の育ちを有する。しかし,コーダは外見からはそれと判断がつかず,コーダ同士で知り合う機会はほぼないため,自らの育ちを他者と共有することが難しく,孤独感やマイノリティ感を感じることもある。本研究は,社会で隠れた存在であるコーダの生きざまを明らかにすることを目的とし,ライフイベントの中でも自分の育ちと強い関連性がある子育てに着目した。研究手法としてライフストーリー研究を採用し,3 人のコーダの語りからライフストーリーを作成・分析した。この結果より,コーダは①ヤングケアラーとして理解される存在があること②双方の世界の価値基準の間で葛藤を抱くことがあること③次世代に伝えるものは,親から受け継いだろう者の世界の事柄であることが明らかになった。コーダろう者子育て手話ライフストーリ
The Chinese Sociological Society and Its Journals from 1930 to 1948
中国社会学社(The Chinese Sociological Society)は 1930 年 2 月 8 日に設立された最初の全国規模の社会学の学術団体である。その前身は 1928 年 10 月 29 日に創設された東南社会学会であり,その後中国社会学社は途中 10 年の活動の中断があったが,1948 年まで 18 年間の活動期間があった。本稿は当学社の活動をその定期刊行物である『社会学刊』(1929-1948),『社会学訊』(1946 年 5 月 -1948 年 4 月),『中国社会学訊』(1947 年 4 月 -1948 年 9 月),『社会建設』(1944 年 7 月 -1946 年 7 月),『社会建設』(復刊)(1948 年 6 月 -1949 年 1 月)などの1 次資料をとおして 1930 年の創立から 1948 年の活動の停止までをあつかったものである。1900 年前後に,中国に社会学が欧米および日本から輸入され,その約 30 年後に中国社会学社が創設されたが,本稿では中国の社会学が成長,発展して行くプロセスの一端を明らかにすることができた。中国社会学社社会学刊社会学訊中国社会学訊社会建
Quotations of the Muryo jukyoshaku in Honen's Disciples Writings: Utilizing the Jodoshu Zensho Text Database
現存の『大経釈』は成立当初の姿ではなく、後世に広本『選択集』と校合編集されたものとされる。現存諸本の比較だけでは『大経釈』の本来の姿やテキストの成立過程を明らかにすることは難しい。そこで現在よりも古い形態のテキストを見ていたと予想される、中世法然門下の『大経釈』の引用に着目し、それをもとに考察を加えた。(1)聖冏『直牒』には広本同文箇所からの引用が見られ、また良忠『決答鈔』には広本同文箇所の取意文と考えられる引用が見られた。(2)門下の引用の中にはいくつか現存のテキストには存在しない文が見られた。検討の結果、いずれも典拠の誤記等と推察でき、門下所見当時の『大経釈』に存在した文として捉えられないことを指摘した。以上により、『大経釈』の原初形態に関する手掛かりを見出すことはできなかったが、中世の法然門下が見ていた『大経釈』も現存テキストと大差のない形態であったのではないかと推測する。法然法然門下三部経釈無量寿経釈大経
未生の世界に響きあう〈オトギバナシ〉の〈郷愁〉:三好達治と丸山薫
昭和初期の詩壇において、第二次『四季』の編集にかかわり、主知的抒情詩の詩人として詩史にその名を刻むことになる三好達治と丸山薫。二人の出会いは、京都の第三高等学校時代までさかのぼる。不遇な幼少期を過ごした二人は、文学への関心をきっかけに三高時代に接近し、やがてその文学観を共有する。上京後、二人は『新思潮』『青空』『椎の木』誌上において、それぞれその文学観をあらわした初期作品を互いに献辞を掲げるなどして、発表した。しかし、間もなくモダニズムに傾斜した二人は、長らくそれらの初期作品を詩集に収めるという形で世に問う機会には恵まれなかった。後年、モダニズムの擾乱を経て、主知的抒情詩へと転換する歩みもさりながら、生涯にわたり互いの芸術を認め合った二人が自らの詩業の原点とみなすことになるのは初期詩篇である。モダニズム前夜、同時代状況の中で要請された新しい文学の形の提起でもあった、二人の〈オトギバナシ〉世界の内実を明らかにし、それらがどのようにモダニズムに接続していくのか考究する
Nirvana and Nihility in Schopenhauer and Vijnapti-matrata
本稿では,ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』と唯識の代表的な論書である『摂大乗論』をテキストとし,両著作の中で語られる「解脱」と「無」という概念について比較研究を行う。ショーペンハウアー哲学と大乗仏教の唯心論哲学である唯識は,ともに現象世界の一切を表象として説明する徹底した唯心論であり,また表象としての現象世界を生じさせる存在基盤として,それぞれ意志とアーラヤ識を説いており,この両概念にも多くの共通点が見られる。そして,両哲学はともに,心の究極の到達点として解脱を説き,また解脱に密接に関わるものとして無を説いている。本稿では,解脱と無に関する両者のテキストの記述を辿りながら,ショーペンハウアーの意志という概念が形成された過程について考察し,両哲学の共通点と相違点を明らかにする。ショーペンハウアー唯識摂大乗論解脱