Bukkyo University
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Personality in Struggle and Problems at University: How Should We Read and Understand Max Weber’s Lecture on “Science as a Vocation” ? (5)
科学の「進歩」は,科学の営みを際限なく無意味化する作用を及ぼすことになる。トルストイは,その「進歩」が支配層の幸福しかもたらさないことを暴いており,ヴェーバーはこの指弾を受けて,「進歩」する経験知の堆積によって世界観を構築することはできず,複数の「理想」のあいだの永遠の闘争が不可避であることを明示する。彼は,近代文化人間にまつわる諸問題について,また科学と大学にかかわる諸問題について,多角的な考察を巡らせ,科学の「進歩」がもたらした危機状況を「呪力剥奪」として特徴づける。呪力剥奪状況にあっては,全面的な意味喪失,白痴化,暗愚化が進行し,国民精神が深刻な危機に陥る。この危機に対峙するヴェーバーは,ゲーテの見地もニーチェの見地も退け,トルストイとの内的対論を続けながら,どう闘うのかを青年層に問いかけていく。マックス・ヴェーバー『職業としての学問』近代文化人間呪力剥奪レフ・トルスト
<白い野>に流れる<水> : 川上弘美『水声』論権
<異界>を描く作家として定評のある川上弘美にとって、『水声』は異色の作であろう。川上と同じ年齢の語り手・都の語る、弟・陵との近親相姦という一見閉ざされた愛の物語は、時代を揺るがした実際の事件や災害を後景化することにより、奇妙なリアリティと共に神話にも遡及する男女の愛の原型としても読めるからだ。とりわけ、<ママ>と奈穂子に重ねられる<白>のイマージュは興味深い。『水声』という題名につながる<水>の流れる処として都が想い描く<白い野>はモダン都市文化と戦時下の緊張が交錯する時代に成った新興俳句からきているが、その時代はそのまま<ママ>の幼少期と重なる。<白>は戦争のみならずチェルノブイリ原発事故、地下鉄サリン事件、そして東日本大震災という、人という種が科学への過信や傲りの果てに引き起こした、あるいはどれほど科学が発展しても避けられぬ破壊の跡に晒される虚無や空無の色彩とも読める。近代的自我の描出に拘泥しない川上による人という種の盛衰と愛の原型として、都と陵の愛の物語が、<白い野>を流れる<水>という悠久の時間の中で浮かび上がってくる
群書類従懐風藻の後代竄入詩 : 亡名氏「歎老詩」考
亡名氏「歎老詩」は、天和版本の欠字を恣意的に補って元禄一七年に書写された「白雲書庫本懐風藻」において書き加えられた詩である。創作時期は天和四年以降元禄一七年の間と推定される。それが屋代校本の書入を介して、群書類従において弘賢が恣意的に変形した五言一一句のまま本文に立てられた。本来の形は、五言一〇句とその第二句「春日不須消」に対する異文「伶須自怜」一句である。創作過程は二段階に分かれる。第一段階では、「春日不須消」を第二句に置き、梅を拈る自分に「少年」を見て喜ぶ老人を描く四句が創作された。第二段階において、第二句が「伶須自怜」に変えられ、第五句目以降の後半六句が増補され、それらには江戸初期に流行を見せた寒山詩の表現が取り込まれ、漢詩の伝統的な主題「歎老」を寒山詩風に描く世界に創り変えられた
惟喬親王 「白雲の絶えずたなびく峰にだに」 歌の解釈 : 隠逸世界への視点と雲林院文化圏との交流を背景に
『古今和歌集』には、惟喬親王の「白雲の絶えずたなびく峰にだに住めば住みぬる世にこそありけれ」という和歌がとられている。この和歌について従来の解釈では、惟喬親王の出家後の悲痛な心情や孤独さを読み取るものが多かった。そうした解釈に対し、本稿では隠逸世界への視点と雲林院文化圏との交流を視座に考察していく。惟喬親王歌における「白雲」は、隠逸世界を象徴する景物としての側面を持っており、また彼の出家後の生活環境は、『菅家文草』におさめられている清和天皇への上表文によると「水石幽閑地」「煙霞晩暮家」というように、まさしく隠者が暮らすような場所であった。さらに彼が親しく交流していた雲林院文化圏は、常康親王の遁世の地であり、そこで編まれた漢詩集では「山人道士」「隠逸梵門」といった部類の作品が重視されたという。このように、惟喬親王は出家前後を通じて隠逸世界との関わりが深く、そのため彼の「白雲の」という和歌についても、そうした隠逸思想が強く反映されているのではないかと考えるのである