Bukkyo University
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The Shinko-Festival and Emergence of Miko : “What is Miko”
柳田國男が「巫女考」において巫女を「神社ミコ」と「口寄ミコ」に分類して以来、多くの先人によって膨大といえる巫女の研究が成されてきた。しかしながら「「巫女」とは何か」についての論究は乏しく、神話世界の女神なども「巫女」とみなし、現実社会に生きた巫女の本質を曖昧にしてしまう傾向が見られる。史料上、古代律令社会には「巫女」の語はほぼ認められず、十二世紀初頭より祭礼神幸記録に巫女が現出してくる。これらの記録を手掛かりに「巫女」の実像を探求した結果、「巫女」とは院政期において、宮廷神事の神社移行に伴い誕生した呪術的女性祭祀者であり、宮廷女性祭祀者である御巫の代理的存在である可能性を見出した。また、祭礼神幸における巫女の役割は呪術性と美麗な様相をもって、祭礼神幸が内包する民衆騒擾を抑制し、かつ、神幸のカタルシス役割を高めるものであったと考えられる。祭礼神幸巫女の現出宮廷祭祀御巫白河
A Consideration of the Worship at Uesugi Jinja Shrines by Those Who Left Yonezawa ― The Practices of the Tondenhei and Yonezawa-Yuuikai
米沢城本丸の上杉謙信を祀る御堂(みどう)は、藩政期をとおし藩の安泰を祈る場として崇敬された。明治時代になりその祭祀は仏式から神祭へと転換する。そして旧藩士の発願によりすべて民費によって上杉神社が建立される。明治維新後、職を求めるなどして米沢を離れた旧藩士は少なくない。本論では、彼らの新天地におけるこの神社に対する崇敬のかたちを、『米澤有爲會雑誌』の記事を中心にとらえていく。ひとつは屯田兵として北海道厚岸郡太田村に渡った人々による上杉神社の遥拝式と神社の建立、もうひとつは全国各地の米澤有爲會支部が上杉神社の祭典に合わせて行った遥拝式から明らかにしていく。そこには具体的にその崇敬のかたちが表現されている。米沢の上杉神社の建立に関わった後に米沢を離れた彼らが、遠隔の地に神社を建立し、あるいは遥拝した米沢の上杉神社への思いは、単なる望郷の念ではなかった。彼らの先祖代々から精神的な支えとして受け継がれてきた、謙信の義勇と鷹山の民政に対する強い崇敬の念によるものであった。上杉謙信上杉鷹山上杉神社太田村屯田兵米澤有爲
The Necessity and Materialization of Alternative Studies on Regional Finance
この論文では,地域経済論の視点から,新たな地域金融研究の必要性と具体化について論じている。具体的には,地域金融と地域との関係性を金融機関の経営行動と経済成長という結果の間の計量的関係を考察するだけではなく,その詳細を規定する地域独自の運動法則,すなわち,地域金融機関が実際に絡み合っている地域の諸主体との相互関係そのものを掘り下げる新たな研究の必要性を提示する。特に,その根底をなす2 つの分析視角,そして実証的検討の際に配慮すべき「地域金融における階層性」の存在,すなわち「制度的階層性」,「空間的階層性」,「規模的階層性」の3 つの階層性に加え,「総合性を抱える地域空間に根付いた地域金融機関」を取り上げている。また,こうした地域金融の階層性と地域金融機関の絶対性を受け入れる形で,今後検討すべき研究課題を具体化することで新たな地域金融研究への実際的展開を図っている。地域金融地域経済論地域金融の階層
Perspective read from 21st century war record written by soldier in World War II
戦後50年が過ぎ21世紀を迎えたころ,戦争体験者による手記,戦記の出版が増加するようになる。この戦記の特徴は,下士官や兵だった者が事実を「ありのままの戦場の現実を伝えることが慰霊であり,追悼であるという意識から戦争の現実の姿が記されるようになっていく。本稿は2016年に提出した修士論文をもとに,戦場や部隊を「規範の内面化を通して生じる」準拠集団としてとらえ,その根底にある「人間の,自らの世界に体系化されたものの見方」であるパースペクティブを読み取ることを課題とした。これはシカゴ学派のタモツ・シブタニが1955年『パースペクティブとしての準拠集団』としてまとめたものを理論の支えとしたものである。そして,指導者への不信と怒りに支えられた平和主義と非人道的な行為の自省という2点を改めて確認した。これらのパースペクティブは,著者のみならず過酷な経験を経た戦争体験者の多くに通ずるものであり,戦後の社会の世論を形成するものであると考える。パースペクティブ準拠集団戦記アジア・太平洋戦
The Effects of Collaborative Classes with the Department of Medical Science at Nursing School
林は,「資格取得前の医療職養成教育での多職種連携教育(IPE)の重要性が広まっている」と指摘している。看護専門学校において連携授業を実践し,連携授業前後のRIPLS日本語版調査結果効果を確認した。そこで筆者は,「連携授業を受講して感じたこと」に対して記述された内容をKH Coderを使用して分析したところ,「自分自身の専門職について考えること」,「多職種を理解すること」「連携することの大切さ」を学ぶことが出来ていることが明らかになった。今回使用したPBL(ProblemBased Learning:問題基盤型学習)による少人数グループによる問題発見解決型(事例解決型,授業課題解決型)の学習方法を使用した今回使用した学習指導案による連携授業の効果が検証できたことによって,他の看護専門学校においても汎用可能なものであると言える。連携授業多職種連携教育看護専門学校チーム医
Selecting the Emperor’s Wet Nurse in the Insei Era
本論は、院政期天皇の乳母の役割の歴史的変化を論じる。そのためには、乳母が何を目的として任命されたかを明らかにし、任命された時期に注目する必要がある。その視野に立ち、第一章において天皇それぞれの乳母を考察する。その過程で明らかとなった天皇の乳母の定員化・官職化、及び、皇子の乳母から天皇の乳母への分断についてを第二章で論じる。それが顕著に表れる、乳母の交代や践祚後に任命される傾向として、特定の行事がきっかけとなっている。第三章では、乳母典侍が行うことが多い、八十島祭使、賀茂祭女使、即位時の褰帳命婦、立后時の理髪役について検討し、乳母典侍が行うことの意義を論じる。乳母典侍乳父八十島祭平安時代鎌倉時