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Bukkyo Universty Academic Knowledge & E-resources Repository: BAKER
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    ボランティア活動 (1) 「災害ボランティア入門講座」(7月・11月)

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    Kepler on Conics

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    古代ギリシャ以来,円錐曲線論は数学の主要な柱の一つであった。十七世紀,ケプラーの議論は,円錐曲線を一平面上で論ずることにより,この研究の画期となった。さらに,ケプラーはこの平面に,無限遠点と平行線の交点を想定することで,後世の幾何学にも関連していくことになる。従来の研究は,ケプラーの、円錐曲線研究史での位置づけ,そして後の幾何学との関連を中心にしている。この論文は,円錐曲線論の歴史やケプラーのプラトニスムという思想的背景を論じながら,ケプラーがどのように交わる平行線という着想に至ったかという点に,議論を集中する。さらにケプラーの円錐曲線論を透視図法の観点から検討し,先行研究が問題にしているデザルグの幾何学との異同を明確にした。『メノン』プラトニスム『世界の調和』アポロニュウス射影幾何

    On the Wish of Fuji Taiseki-ji to Build a Branch Temple at the Kaga Domain

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    小稿は、近世加賀藩における大石寺信仰に対する禁令発令により、禁制となった大石寺から、加賀藩江戸藩邸に出願された末寺建立願の顛末を主題とする。大石寺信仰への禁令は、末寺不存在による宗門行政の不都合が主因であり、末寺建立の出願はその理由解消を目指したものである。この折衝に当たった聞番・半田権左衛門は、即刻却下の結論を伝達し、厳格な対処を行った。しかし、半田権左衛門、ならびに一連の経過に関与した前田将監、里見孫太夫、さらには庄田兵庫に大石寺との接点が存在することが判明した。大石寺による出願は、一定の成算の下になされたものの、ある理由で頓挫し、半田権左衛門等の厳格な対応は逆に大石寺の側に立った対処であった可能性を指摘した。五本の禁令が確認できる程に禁令下の大石寺信仰は拡大したが、悲願であった末寺建立は藩政期を通じて実現しなかった。加賀藩大石寺信仰金沢法難新寺建立禁止禁

    Biased Replies in Questionnaire Surveys

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     大学生を対象とした質問紙調査法において,1.一般的な質問と具体対な事例に対する質問への回答の違い,2.質問の回答選択法の違いにおける回答の違い,3.被験者の回答意識がもたらす回答の違い,といった回答の違いをもたらすバイアスの存在を,実際の質問紙調査法で得たデータを分析することにより明らかにした。具体的には以下のバイアスを明確にした。自己評価を一般的な項目に対して行う場合と具体的な事例に対して行う場合では,回答が異なる可能性がある。相対する特性や姿勢・態度を調査する場合,それらが共存する可能性が高い項目においては調査結果が回答の選択法によって変わる場合がある。また,自分自身に関することを尋ねられた場合,自分自身をよく見せたいという虚栄心バイアスが存在する。この虚栄心バイアスがあることによって,被験者に自身の考え方や態度,姿勢に関して尋ねる場合には,回答値が実態以上に正方向に高くなる可能性がある。これらのバイアスは感覚的にはその存在が想定されるが,本研究はデータを基にその存在を検証し,質問紙法を実践するときのバイアスとして明確にしたものであり,調査を行う際に留意すべきものとして提示した。質問紙調査法回答バイアス虚栄心バイアス回答選択肢留意

    Nursing Care Insurance System Aiming for Independence Support for the Elderly : Preventive Care Management Crisis

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     「自立支援」を打ち出した介護保険制度,そのスローガンであった「介護の社会化」は「介護予防重視」「自助・互助」へと国民に責任を押しつけ,信頼・期待を失いつつある。特に介護予防・日常生活支援総合事業の導入以降は,サービス利用からの強制的終了(卒業の押し付け)事例が起こり,これが介護予防ケアマネジメントの自立支援かのように評価される危機にある。 介護予防ケアマネジメントにおける「高齢者の自立・自立支援」について,居宅ケアマネジャーに対し調査を実施した。狭義のKJ法の結果,ケアマネジャーは「精神的自立」がカギであり,サービス等利用による継続支援は自立と考えていること,また制度と高齢者間の「かみ合わなさと困難さ」,現場での自立支援の実践と自身の専門性に葛藤を抱えていることが明らかになった。持続可能な制度という国の目標は,本来めざす高齢者の自立支援とケアマネジャーの専門性を揺るがしている。高齢者の自立支援介護保険制度介護予防ケアマネジメントサービス卒業専門

    Vengeance, Justice, and Sarty Snopes in William Faulkner’s “Barn Burning”

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    佛教大学教育学部学会会則

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    A Reconsideration on the Discourses of J.A. Comenius in Pre-war Japan 2

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    本論文は戦前期日本のコメニウスに関する言説の包括的調査の一環である。近代国民国家形成の要因のひとつである国民教育制度が19世紀半ばに成立した際,17世紀チェコの思想家コメニウスは近代教育の祖として紹介された。日本における西洋教育受容に関する知見を深めるには,この過程のより詳細な検討が望まれる。1945年までに出版された,主として教育関連の書籍や雑誌の調査によって,私は,これまでの調査では触れられていなかった20以上の記事を確認した。本研究では,それらの記事を概説し,コメニウス解釈が変容あるいは多様化した過程を再考する。本稿では,とくに1880年代後半から1890年代にかけて邦訳された教育史,教育学,教授学の教科書,西洋教育の紹介に大きな役割を果たした山縣悌三郎(1859-1940)の活動,そして1895年までに現れた記事や書籍をあつかう。This thesis is part of comprehensive survey of discourses on J.A. Comenius in prewar Japan. When national education system, one of the main agents of the formation of nation state was established in mid 19th-century Japan, Czech thinker in the 17th century, Comenius was introduced as a precursor of modern education. More detailed examination on the process is expected for the deeper understanding of the acceptance of Western education in Japan. Through examining the books and magazines mainly concerning education published up to 1945, the author discovered more than 20 articles about Comenius, which have not been mentioned in the previous survey. In this series of theses, the author lists them up and reconsider the process in which the interpretation of Comenius changed and diversified. This thesis pays special attention to the textbooks of the history of education and of pedagogy and didactics, which were translated into Japanese from the latter half of 1880s to the 1890s, the activities of Teizaburo Yamagata (1859-1940), and other articles and books appeared before 1895.コメニウス西洋教育受容教育思想史メタヒストリ

    Studying in the UK with Dr. Shinga INAGAKI

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    文学者や研究者の留学体験・渡欧体験を考察することは学史研究上、学説の誕生やその後の研究活動の展開を考える際、意味深い。 研究者がどこに留学したのか、なぜ、その地を選んだのか、留学先で、何を見聞し、何を得て、どのような人々と交流したのか、それらが帰国後の研究に何をもたらしたのか、を明らかにすることは、上記の点を検証するためにも重要であろう。近代浄土宗では宗命により、優秀な人材に海外留学させ、その成果をもって、宗門の発展に寄与させようとした。いわゆる浄土宗海外留学生(制度)である。彼らの海外での研究先や研究活動を探求することは、近代浄土宗僧の学知修得を考察するうえでも意義あることであろう。本稿は、本学有縁の浄土学僧や研究者の留学について、『浄土教報』掲載記事を中心に検討することを目的とするが、その際、本学第三代学長稲垣眞我のイギリス留学を核に考察していく。稲垣がイギリスで、あるいは巡遊したヨーロッパで、何を見、何を感じ、誰と交流し、それらを通して何を得たのか。その渡欧体験を通し、近代浄土宗学僧の学知修得とその背景、影響などを考えてみたい。同時に、稲垣の留学を検討することは、大学史としての有意義であろうと考える。稲垣眞我浄土宗海外留学生渡欧体験オックスフォード大学ラスキン・カレッ

    Quan chao qian (権鈔銭) and Currency Policy at the End of Yuan Dynasty

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    元の最末期、腹裏の中央政権と長江以南の元朝地方政権は反乱によって分断された。腹裏では至正通宝を発行し至正鈔(中統新鈔)と相権し、江西行省吉安路では至正之宝という権鈔銭を発行し、中統旧鈔を権鈔した。中央政府と地方政府で紙幣の安定策が異なった理由は基軸と認識された紙幣が異なったからである。本稿は至正之宝権鈔銭が発行された江南における元朝最末期の通貨事情を検討する。至正之宝権鈔銭至正鈔中統鈔吉安

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