Nichibunken Open Access (International Research Center for Japanese Studies Repository)
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<RESEARCH NOTE>Found in Transliteration : Japanese Names in Missionary Sources on Hideyoshi’s Invasions of Korea
This research note examines the complex transliteration practices used by the Jesuits in Japan during the late sixteenth and early seventeenth centuries, with a particular focus on documents related to the Imjin War, the Japanese invasions of Korea which occurred over the course of 1592-1598. The linguistic diversity of Japanese dialects and the multilingual environment of the Catholic mission in the archipelago resulted in significant variability in the graphical representation of native names in European sources. By analyzing these transliterations, I explore how the Jesuits' policy of cultural accommodation, central to their evangelization efforts in Japan, influenced both their understanding of the Japanese language and shaped the way they recorded native terms. To this end, this research note includes a comprehensive list of Jesuit transliterations of Japanese proper names and toponyms, along with their corresponding original forms, aiming to facilitate the coordinated use and comparative study of both missionary and Asian sources in historical research on the Imjin War.journal articl
<BOOK REVIEW>Wombs of Empire : Population Discourses and Biopolitics in Modern Japan, by Sujin Lee
articl
<研究論文>植民地台湾における「生活改善」の展開 : 前史、移入、変質
本稿は、日本帝国という空間に視座を据えながら、「生活改善」が植民地台湾で展開される最初期段階の様相を検証する。「生活改善」の前史である「簡易生活」に遡りながら、その展開、変質、そして「運動」へと移行する軌跡を跡づける。考察にあたっては、ジャーナリストの越境と書籍の流通に着目し、また、いままで見落とされていた在台日本人も考察の対象に入れながら、「生活改善」の内容と意味合いの変化を分析する。
植民地台湾における「生活改善」運動はこれまで官による台湾人向けの教化運動として理解されてきたが、本稿の検証により、在台日本人も「改善」の対象に含まれていたことが明らかになった。近代化がもたらした複雑化を批判したヴァグネルの『簡易生活』はメディアの情報や書籍の流通によって、1906年に植民地台湾に紹介されたが、その際、在台日本人の奢侈を批判する形に変容し、国家や植民地の経営発展と結びつけられて論じられた。「簡易生活」に対する在台日本人社会の関心は、1910年代後半、ジャーナリスト西村才介の講演活動によって高まったが、賛否両論が存在し、在台日本人のコンセンサスを得た運動にまでは発展しなかった。
1920年の日本本国における「生活改善同盟会」の成立を機に、「生活改善」に対する関心のあり方は大きく変わった。女性雑誌『婦人と家庭』は生活改善の宣伝に大きく寄与したが、顧問の小島清友をとりまく人的ネットワークによって、同誌の主張する「生活改善」は社会主義的な社会改良論から離れ、官主導の「生活改善」運動に接近していった。メディアの報道に加え、在台日本人社会に様々な「生活改善会」が組織されたことで、「生活改善」は徐々に「運動」へと発展していった。しかし、1920年代後半以降、改善の対象は次第に台湾人に移り、教化運動の一環となり、日本本国とは異なる展開を示した。
本研究を通して、植民地台湾で展開された「生活改善」の初期段階の構図を解明し、これまでの研究で見落とされてきた帝国日本との相互関係を検証し、「生活改善」がもった日本本国との連動性と植民地台湾における独自性を明らかにした。journal articl
<研究論文>アメリカの例外主義と日系人 : 一九八〇年代の日本におけるリドレス受容をめぐって
本稿は、1980年代のアメリカで展開した日系人リドレス運動(第二次大戦時の日系人強制転住・収容政策に対する補償要求運動)に関する『読売新聞』の報道内容を分析したものである。日系の活動家たちは「過ちの是正」を意味する「リドレス(redress)」という言葉を掲げて運動を推進した。従来の研究は、リドレス運動の「成功」や、歴史的不正を認め償ったアメリカの「正義」を強調してきた。しかし近年の研究は、アメリカの国家的戦略としての国際的プレゼンスの向上とリドレス運動の連動に注目することで、「リドレス」なる概念がポスト冷戦期の道徳的人権リーダーというアメリカの自画像の確立のために取り込まれていく諸相を明らかにしている。
一方、リドレス言説をめぐる先行研究の議論は、日系人活動家や連邦議会議員などアメリカ国内のアクターを中心に組み立てられてきた。そこで本稿では、リドレス運動に大きな関心を払った『読売新聞』の報道内容を分析し、1980年代の日本におけるリドレス言説の形成過程の一端を解明することでこの議論に加わることを試みた。
リドレス運動に注目した『読売新聞』の記者および読者は、この運動を単なるアメリカでの一出来事として捉えることなく、日本をめぐるグローバルな文脈の中で、教科書問題、米ソ冷戦、日米関係に対する自身の立場や主張をリドレスに投影することで独自の言説を形成した。アメリカにおけるリドレス言説を受動的に受容したわけではなく、1980年代を通して自分たちの関心や利益に沿う形でそれを積極的に利用したのである。ただし、このようにして『読売新聞』が構築したリドレス言説には、共産主義国家とも日本とも異なる模範的民主主義国家としてのアメリカ像が潜在していた。『読売新聞』が正義や民主主義と関連付けながら構築・拡散したリドレス言説は、アメリカの連邦議会議員たちと同様に、世界に比類なき道徳的権威をアメリカに付与するものだった。すなわち、『読売新聞』は1980年代を通してリドレスの受容と再構築を行う中で、道徳的・多文化主義的なアメリカ例外主義を日本国内で強化する役割を果たしたのである。journal articl