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Eine Perspektive für die Systematische Theologie in Deutschland heute
本翻訳は近年ドイツ語圏のプロテスタント神学で行われている様々な議論の潮流を概観する総説であるが、箇所によってはかなり込み入った議論がなされているところもある。ここでは簡単に議論を要約することによって、本論を読む際の手引きをすることにしたい。エーヴァース氏によれば、近年の議論は大きく三つ ----自由主義神学、解釈学的神学、形而上学的宗教哲学に分けることができる。そして、これらがそれぞれ一人称、二人称、三人称の観点において神学を展開する立場であると分類している。第一の立場として挙げられるのは、19世紀にシュライアマハーからトレルチあたりまでの理論形成によって成立したリベラル・プロテスタンティズムの後継となるような自由主義神学・学問的神学である。20世紀後半に解釈学的神学、パネンベルク、モルトマンらの三つ巴がそれぞれの方法でバルト神学と向きあおうとした一方、自由主義神学の潮流はシュライアマハー・ルネサンスやトレルチ・ルネサンスなどのようなかたちで19世紀の古典的な思想家を再評価するクラシックな方法で道具立てをそろえていった。本論では第一の立場の古典的な理論的表現形式として主観性理論Subjektivitätstheorieという用語がしばしば登場するが、これはまさにカント以降の超越論的な主観性(シュライアマハー的にいえば、あるいはトレルチ的にいえばのなかに人間の宗教性の根源を認めようとする宗教理論である。この反省的主観性において、人間は世界を宗教的に解釈deutenすることができる。このような意味で、本論では第一の立場がにおいて組織神学を展開する方向性であると整理されている(のなかに現出する宗教性)。しかしエーヴァース氏の説明するところでは、近年の議論はこのような狭い意味での主観性理論を越えて、文化学におけるより広い文脈においてを探求する方向へと議論が移っている。そこで問題になるのは、例えば宗教についての言説理論Diskurstheorieと呼ばれるものであり、これは組織神学と宗教学Religionswissenschaftが交差する論点となっている。宗教という概念はヨーロッパで成立したものであり、そのなかには他宗教に対してキリスト教の優位性・絶対性を証明するためのヨーロッパ中心主義的なイデオロギーが埋め込まれているといういわゆる宗教概念批判は、宗教という一般概念に立脚して理論を展開しようとする自由主義神学の立場にとっての挑戦となっている。また、宗教現象をより広い文脈において捉えようとするなかで欠かせない自然科学との対話、特に認知科学的・進化生物学的なアプローチがどのようにかかわってくるのかも、重要な論点として紹介されている。第二の立場としては、20世紀後半の三つ巴の時代から比較的直線的に発展してきたといえる解釈学的神学の立場が挙げられる。第一の立場が主観性の自己解釈という形で一人称の宗教概念を基礎にする一方で、第二の立場は人間に的に相対する神(人間にとっての「あなた」としての神)が問題になる。この解釈学的神学にとって重要な道具立てとなるのは、本論でも繰り返し論じられているとおり〈言葉の出来事〉による実存の転換であろう。ブルトマンが論じたように、神学において重要なのは聖書に書かれている客観的な情報(たとえば世界が6日で創造されたこと)ではなく、それを読んで解釈・理解することによって人間実存に変化がもたらされる実存論的解釈である(たとえばという考えによって自分の世界の見方が一新されること)。ここで紹介されている最近の解釈学的神学も、さまざまな切り口からこの基本モチーフを展開することを試みている。紹介されている具体的な論者のなかで、すでに古典的な地位を獲得しつつあるといっていいのはインゴルフ・ダルファートIngolf Dalferth(1948-)であろう。日本でも比較的知られているダルファートは、ユンゲルの次の世代における解釈学的神学の論客として旺盛に論考を発表してきた神学者である。なかでも、本論でも触れられている『ラディカルな神学』(2010)は解釈学的神学者としてのダルファートの基本ラインを伝える基礎文献といっていい。本論ではまたその次の世代として、フィリップ・シュテルガーPhilipp Stoellger (1967-)やハートムート・フォン・ザースHartmut von Sass(1980-)などの比較的若い世代まで紹介がなされている。さらに、以前の解釈学的神学が人間同士のコミュニケーションという言語的な解釈モデルに拘り過ぎてしまった点を指摘し、それを乗り越える展開として、近年広げられている図像解釈学の議論などにも紹介の手が広げられている。第三の立場としては、アングロサクソン圏の分析形而上学の方法論を取り入れた形而上学が挙げられている。一般的に、ドイツを含めたいわゆる大陸系の思想が、カントを境としてなどのような自然神学の伝統的議論から離れていくのに対し、英米系の宗教哲学は分析哲学の方法論を取り入れながらそれを現在まで保持・発展させてきているという見取り図が大まかな前提として存在する。このような一般的傾向に対して、この第三の立場はドイツという大陸の伝統にありながら分析系の方法論を取り入れることによって、「究極的な問いに対して理性による解答を与える試み」として組織神学の立場を構想しようとしている。この立場にとっては、神などの超越は理性的推論によって扱われる客観的な認識対象であり、そこには第二の立場が要求するような人間の実存は介在しない(例えば、私の実存如何にかかわらず、2024年の時点においてドイツの首都はベルリンである、ということが客観的真理であるように)。その意味でこの立場はにおいて、すなわち人間の認識から独立した客観的存在としてのとしての神について語るものと位置づけられている。この立場がおもに展開される代表例として本論文で取り扱われるのは、叢書「コレギウム・メタフィジクム」と、その編集主幹のひとりであるフリードリヒ・ヘルマニFriedrich Hermanniの宗教哲学『形而上学 --究極的問いへの試論』である。英米圏における宗教哲学の教科書的トポイともいえるやに加え、やなどのテーマを扱いつつ、ヘルマニはいわゆる分析哲学的な手法を中心とし、かつ古典的な思想家を道具立てとして用いる形で、みずからの宗教哲学を展開してゆく。そのさい特徴的といえるのは、分析哲学の手法を用いるといっても単に英米圏の議論の枝葉を後追いするのではなく、いわゆる大陸圏の古典的思想家にかんする議論を大胆にそこに組み込んでゆく姿勢である。のちにもすこし触れるように、いわゆる大陸系と分析系がそれぞれの蛸壺に閉じこもるというありがちな傾向に対して、現代ドイツの哲学ではその区別を取り払って両者を大胆に融合するような傾向が見られる。第三の立場であるこの形而上学神学もその流れに棹さしつつ、自らのスタイルを追求しているということができるだろう
An Essay on a Hermeneutic Philosophy of Religion
本論は、2021年3月に京都大学文学研究科に提出され、同年10月に試問が行われた博士論文「ガダマー解釈学と宗教思想 --解釈における〈一と多〉の構造を手がかりに」の終章が土台となっている
Going Beyond Counting First Authors in Author Co-citation Analysis
The present study examines one of the fundamental aspects of author co-citation analysis (ACA) - the way co-citation
counts are defined. Co-citation counting provides the data on which all subsequent statistical analyses and mappings
are based, and we compare ACA results based on two different types of co-citation counting - the traditional type that
only counts the first one among a cited work's authors on the one hand and a non-traditional type that takes into
account the first 5 authors of a cited work on the other hand. Results indicate that the picture produced through this non-traditional author co-citation counting contains more coherent author groups and is therefore considerably clearer. However, this picture represents fewer specialties in the research field being studied than that produced through the traditional first-author co-citation counting when the same number of top-ranked authors is selected and analyzed. Reasons for these effects are discussed
<Translation>Neuere Tendenzen in der deutschsprachigen evangelischen Dogmatik
この総説では、近年のドイツ語圏のアカデミアにおけるプロテスタント教義学の研究成果について論ずる。そこでは三つの主要な動向を特定することができる。(1)宗教という一般概念の枠組みにおいて構築されたキリスト教教義学、(2)新しい解釈学的神学、そして(3)形而上学的神学の再来である。第一の潮流の主な特徴が見られるのは、主観的・超越論的な基礎から、人間学的・文化的な枠組みというより幅の広い宗教概念へと移行しようとしている点である。この立場に対する批判として提起されているのは、神学における規範的な問いと、文化現象としての宗教が主に西洋のカテゴリーであるという両義性である。第二の潮流は人間実存が両義的であるという事実から出発し、ラディカルな実存の変容として神と信仰を考える。神は信仰の出来事において働くものとして考えられ、そこでは現実と自己についての新たな理解が得られるようになるのである。この立場に対しては、そのアプローチは信仰主義であって、合理的・普遍的ではないのではないかという批判がなされている。第三の潮流が追求する立場は、理性という手段によって究極的な問いに答えを与える試みとしての神学である。この立場に対する批判は、悪の問題、自由意志、人生の不確かさのような実存的な問題を適切に扱えないこと、不信仰をある種の無知として捉えるようになってしまうことである。最後に著者は三つの立場を、現実を捉えるためにそれぞれ一人称、二人称、三人称の観点を取るものとして区別し、第二の立場の神学的重要性を擁護する
Variations on the Author
“Variations on the Author” discusses two of Eduardo Coutinho’s recent films (Um Dia na Vida, from 2010, and Últimas Conversas, posthumously released in 2015) and their contribution to the general question of documentary authorship. The director’s filmography is characterized by a consistent yet self-effacing form of authorial self-inscription: Coutinho often features as an interviewer that rather than express opinions propels discourses; an interviewer that is good at listening. This mode of self-inscription characterizes him as an author who is not expressive but who is nonetheless markedly present on the screen. In Um Dia na Vida, however, Coutinho is completely absent form the image, while Últimas Conversas, on the contrary, includes a confessional prologue that moves the director from the margins to the center of his films. This article examines the ways in which these works stand out in the filmography of a director who offers new insights into the notion of cinematic authorship
<Research Trend>Conference Report: North American Society for Philosophical Hermeneutics (NAPSH)
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