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チイキ フード ブランド ノ コウバイ キッショク ワ ソコ ニ オトズレタイ ニ ツナガルカ チュウヘン : チイキ フード ブランド キッショク カラ ホウモン ニ イタル プロセス ノ カイメイ テリトーリオ アプローチ ノ カツヨウ
application/pdf地域で生産されている地域フードブランドを飲食することにより,当該フードブランドの収穫・生産を行う未訪問地域へ訪問することに,人はどのような意識構造,つまり意識プロセスを有しているのか,また,それはどういう内面的な要素がつながりあっているのかを探ることを本研究の目的とした。この種の研究は,重要性が高いにも関わらず,ほとんど研究がなされていないため,そこに焦点を当てたものである。本研究は前編でのインタビュー調査の結果を受け,喫食から訪問までのプロセスを,アンケート調査によって得られたデータから分析し,テリトーリオ・アプローチを適用して構成した構造仮説を検証したものである。
結果的にテリトーリオ・アプローチを元に作成した構造仮説の各部分はほぼ実証され,地域フードブランド喫食と生産地域訪問の関係性は,テリトーリオ活用の構造モデルによる分析が有効であり,テリトーリオモデルは,ループして強化されていくことが明らかとなった。また共有財としてのコモンズとなる地域一体化イメージは,地域プレイスブランドとして重要であり,ループにおいて知識を増やし,喫食に繋げるのは認知的な面であるが,喫食回数を増やすのは感情的な強化であり,感情面の強化は地域フードブランドにおいて極めて重要となることが明らかとなった。そして観光スポットの存在も地域への関心を増すためには重要であり,生産地域への訪問意図,生産地域への親近感(因子分析)を高めるのは感情面の強化が重要であることが明らかになった。departmental bulletin pape
ニホンジン ダンセイ ニオケル ケッコン コウホ ノ コウサイ アイテ ノ ウム ニ カンスル トウケイ ブンセキ
application/pdf本稿は,筆者らが独自に実施した「結婚観に関するアンケート」を用いて,日本人の独身男性における,結婚候補の交際相手の有無に関する分析を行った。既に,鈴木(2024b)では日本人の独身女性について,結婚候補の交際相手の有無に関する分析を行っているが,それと同じデータ,フレームワークを用いて,独身男性の場合について分析したものである。独身女性の場合と同様,プロビットモデルによる推定では,有意な変数はあまり多くなく,決定係数も低かった。特徴的な点をいくつかピックアップすると,まず,外見に関しては,容姿が悪い場合に結婚を考えている交際相手がいる確率が低くなる。習慣については,競馬・競輪などのギャンブルをする場合に,結婚を考えている交際相手がいる確率が大きく減少する。また,借入金がある場合にも,結婚を考えている交際相手がいる確率が減少する。職種や機会費用に関する変数については,有意な変数は存在しなかった。職場環境としては,時差出勤がある場合や育児休職がある場合に,結婚を考えている交際相手がいる確率が高まる。家庭環境については,親と同居している場合に確率が減少する。また,希望子ども数が多いほど,結婚を考えている交際相手がいる確率が高まる。さらに,出会いについては,事業者のマッチングサービスを利用する場合に,結婚を考えている交際相手がいる確率が大きく上昇する。また,記述統計の傾向を細かく見ると,鈴木(2024b)の独身女性に関する結果と多くの類似性が確認できる。具体的には,習慣,職種,学歴,年収,親との同居率,労働時間や通勤時間,希望こども数,両親のデモンストレーション効果,職場環境,交際相手との出会いの機会,異性との紹介・出会いの環境などについて,結婚を考えている交際相手の有無別の傾向が類似している。departmental bulletin pape
The lifestyle of modern Japanese scientists in China : Taking the Shanghai Science Institute as an example
application/pdfThe Shanghai Science Institute is the only comprehensive research institute in modern Japan that includes “natural science” in its name. The Institute was an important component of the “Eastern Cultural Project” (also known as the “China Cultural Project”) implemented by the Japanese government under the Special Accounting Law for China Cultural Project, which was passed by the National Diet in 1923; and it operated for 15 years and 6 months̶from April 1931 to September 1945. With a “research scope covering almost every aspect of natural sciences”, the Institute brought together Japan’s leading scholars and scientific researchers at the time. Among them were loyal scholars beholden to the Emperor who aimed to demonstrate “the advanced science of the empire”, as well as leftist scientists who had fled Japan to escape political persecution. The achievements of these researchers were presented to the world through the Institute’s two academic journals, Shanghai Shizen Kagaku Kenkyuujo Ihou and Journal of the Shanghai Science Institute, which were regularly published in Japanese and English, respectively. Another side of these natural scientists’ passion for literary creation was demonstrated in the official journal Nature, which was inscribed by Lu Xun himself. This paper attempts to outline the lifestyle and characteristics of this special group of Japanese expatriates in modern Shanghai by utilizing the diplomatic archives of the Ministry of Foreign Affairs of Japan, the various publications issued by the Institute, the various memoirs and personal letters of these researchers and their family members, and interviews conducted by the author with the researchers’ descendants.Research Articlesdepartmental bulletin pape
アンケート カラ ミル テンジ ノ セイカ ト コンゴ ノ カダイ ガクシュウイン セイフク コトハジメ テン シン ミュージアム カイカン ニ ムケテ
application/pdfdepartmental bulletin pape
サブスクリプション サービス ニオケル カカク カンド ノ ホウソクセイ ト コキャク マンゾク コウゾウ トノ カンケイ
学習院大学Gakushuin University博士(経営学)Doctor of Philosophy in Management本論はサブスクリプションの分野に焦点を当て、顧客(契約者)の価格に対する感度と、顧客満足と利用の関係構造を解明することを大きな目的とした。
Ⅰ章の問題意識として、市場を席捲するサブスクリプションにおける価格改定例などを踏まえ、顧客の価格感度を理解する必要性があること、定額制で且つ本契約前に体験ができるケースが多い現状を踏まえ、価格判断を含む知覚価値やその先にある顧客満足の説明が既存のモデルから変わり得ることの2点を説明し、この分野の価格と顧客満足に着目した。
この2点に着目してⅡ章でレビューを行い、現在サブスクリプションが多く採用されるSaaSの分野で価格が大きな研究機会とされていること、太宰(2008)が最寄品で実証した価格感度の法則性がサブスクリプションの分野で行われていないこと、この分野では顧客満足についての研究も不足しており、顧客満足と利用の関係構造や顧客満足と価格感度にも焦点が当たっていないことを確認した。
以降、Ⅲ章で価格法則性についての2つの理論仮説を、Ⅳ章で顧客満足と利用の関係構造について2つの探索的分析視点を、Ⅴ章において価格感度やWTPと、顧客満足の関係について2つの仮説を提示し、その実証を行った。
Ⅲ章ではサブスクリプションにおいても価格感度に幅があることを確認し、さらにその価格感度の法則性を議論した。法則性とまで結論付けることは難しい結果となったが、比率化後のPRICE2の出力が似通うことや、一部の比率や回答者割合が似通うことで価格感度の法則性の可能性を示した。
Ⅳ章では顧客満足と利用の関係構造を実証し、(週1回の利用もない、など)利用が一定量を下回る際に満足度が大きく下がったり、(毎日オンライン英会話をやる、など)満足度が大きくあがったりする閾値の存在が確認されたほか、定額動画配信の利用など、サービスタイプによって利用が極めて多くなると満足度が高まらずに逆に減ることなどを確認した。
Ⅴ章においては価格感度と顧客満足について、既存研究から互いが相関することを仮説としたが、結論として関連が確認されず、支払い意識の弱さなどが窺えた。
法則性については可能性を示唆するにとどまったが、サブスクリプションという近年確立された新しい分野において、価格と顧客満足という重要な要素に対して新しい知見をもたらした。application/pdfdoctoral thesi
メイジキ デントウガハ ノ シテキ ケンキュウ ケイショウ ト テンカイ ノ ショソウ
学習院大学Gakushuin University博士(美術史学)Doctor of Philosophy in Art History明治20年(1887)、龍池会は有栖川宮熾仁親王を初代総裁に戴き、日本美術協会として発展的に改組された。同会は皇族、華族、宮内省、農商務省などの強力な支援のもとで、南画、南北合派、江戸狩野派、土佐住吉派、円山四条派といった国内の伝統的な諸流派の画家たちが参集した巨大美術団体へと成長する。
しかしながら、現在の日本近代美術史研究において、日本美術協会系の画家たちに対する認識と評価は漸進的な歩みに留まっている。画壇で対立関係にあった日本美術院の画家たち、なかでも横山大観、菱田春草らに高い評価と関心が寄せられている状況とはきわめて対照的である。このような状況に至ったのは、「新派」系の日本美術院に対して、日本美術協会系が「旧派」とみなされたことも要因にある。「旧派」側の動向は、進歩史観で形作られた日本近代美術史のなかでは、革新勢力に対する退嬰的な反発として否定的に捉えられ、彼らの芸術自体に過小評価をもたらしている。
本論文では「旧派」に替わる「伝統画派」の使用を提起する。明治期の伝統画派に共通してみられる特徴として、表現様式の継承、流派への帰属意識、公的な絵画事業への政府による積極的な登用が挙げられる。本論文が目的とするのは、伝統画派の考察によって従来の「旧派」観を刷新し、「新派」中心に築かれた日本近代美術史のなかで伏流となった彼らの業績に光をあて、再評価することにある。伝統画派の画業を顧みることで、「創造と革新」に評価の重心が置かれ、新旧の二項対立の図式で語られてきた美術史観を再考する。そのうえで、伝統の継承こそが求められた「場」の問題、同時代の文化的背景、各画家が築いた人的ネットワークにも視野を広げ、明治期の日本画壇の多重構造を解明することを試みる。
なお、伝統画派の「継承と展開」は、絵画様式の継承と展開であると同時に、流派それ自体の継承と展開を二重に意味する。「家」を中心とする組織としての流派が解体された後も、明治期の伝統画派は師承関係などさまざまな形で濃厚に人的連続性が保たれており、その象徴的行為として流祖の顕彰や流派儀式の継承が行われていた。本論文ではこのような画家たちの心性史も考察の対象とする。
第一部では、維新後の江戸狩野派がどのように流派の存続を図り、継承を模索したのかを考察した。第一部第一章では、奥絵師四家のうち、明治維新に際して唯一幕臣に留まった鍛冶橋狩野家について、十代目当主・狩野探美守貴の動向を中心に論じた。形式的な節義の表明とされてきた幕臣残留について、公文書などから事実関係を検証し、実際には探美が早い段階で新政府への帰順(朝臣化)を申請していたこと、幕臣残留は家督相続をめぐる混乱に起因した可能性を指摘した。また、皇居御造営など、探美が明治政府の公的な絵画事業に登用された背景に、御用絵師としての前歴に対する評価があったことを述べた。さらに、探幽の顕彰や鑑定といった活動、ポスト探美世代の画家たちによる江戸狩野派再興の動きにも着目し、鍛冶橋狩野家が伝統画派の中心となっていく過程を考察した。
第一部附論では、河鍋暁斎『日蓮大菩薩聖迹図伝』(明治18年)を考察の対象とした。日蓮の一代記を描いた同書の挿絵が、先行する小川泰堂著・長谷川雪堤画『日蓮大士真実伝』(慶応3年初版、明治17年再販)を参照していることを図像同士の比較によって検証した。また、江戸狩野派と暁斎が日蓮信仰を共有している点、近代における日蓮宗出版史も踏まえながら、『日蓮大菩薩聖迹図伝』挿絵の成立過程を明らかにした。
第二部では、従来、狩野芳崖とともに日本画革新運動を牽引した画家とみなされてきた橋本雅邦について、江戸狩野派との関わりからその画業を再考した。雅邦は「新派」系の鑑画会に参加したことに加え、教え子の横山大観、菱田春草らが「新派」の代表格とされたことで、雅邦もまたその源流に位置づけられてきた。いっぽうで、雅邦の初期画業にみられる江戸狩野派の粉本主義の影響、さらに晩年の木挽町狩野家儀式の継承の意図については、十分に検証されてきたとは言いがたい。第二部では、近代日本画の父としての雅邦像とは一線を画し、江戸狩野派の継承者、伝統画派としての視点から新たな雅邦像の提示を試みた。
第二部第一章では、明治10~20年代半ば頃の作品と比定される《四季花鳥図》(島根県立美術館蔵)、《春秋山水中士農図》(個人蔵)を手がかりに、雅邦による江戸狩野派の図様学習の実践と作画への応用を検証した。《四季花鳥図》には探幽粉本の影響がみられ、《春秋山水中士農図》には幕末における江戸狩野派の山水画様式との共通性が認められる。この2作品を通じて、雅邦における江戸狩野派様式の継承を明らかにした。
第二部第二章では、《四聖像》(東洋大学井上円了記念博物館蔵)を中心に、雅邦と哲学者・教育者である井上円了との交流、円了思想の絵画化の問題を論じた。本作は釈迦、孔子、ソクラテス、カントといった東西の宗教家、思想家、哲学者が描かれた集団肖像画である。本作は円了の哲学・教育観の中心にあった「四聖」のイメージに基づいて制作され、円了が主宰した哲学祭の尊像であった。本章では、描かれた聖賢たちの図像について、江戸狩野派の粉本の影響と円了から提供されたイメージ・ソースの存在を明らかにした。また、本作に先行する渡辺文三郎《四聖像》との相違点を踏まえて、雅邦に作画が依頼された理由を考察した。最後に明治期の聖賢表象の問題と絡めて、本作が占める位置を論じた。
第二部第三章では、雅邦晩期の水墨山水画について《四季山水》(徳富蘇峰記念館蔵)を考察の対象とした。本作は徳富蘇峰の旧蔵品であり、雅邦晩期の水墨山水画の特徴をよく示す。本作が描かれた明治30年代は、大観、春草らの駆使する没線主彩の描法・朦朧体が画壇で論争を引き起こしていた時期であり、雅邦が牧谿や玉澗などの筆法に倣い、朦朧体に対する自身の理解と応用を晩期の水墨山水画で示した可能性を指摘した。
第二部第四章では、最晩年の雅邦と研究団体・二葉会の関係について論じた。雅邦が同会で後進を育成し、次世代の画家たちに木挽町狩野家の儀式、行事を継承するなど、江戸狩野派としての自覚を深めていく過程を検証した。
第三部では、皇室、宮内省からの委嘱制作に登用された伝統画派を論じた。戦前の日本において、皇室、宮内省のために彩管を揮った画家たちは、展覧会とは距離を置きつつ、長期間にわたって託された仕事に専従することも多く、完成した作品も一般に公開される機会をもたなかった。第三部では、遺された作品や資料からこれら伝統画派の活動の実態を明らかにした。
第三部第一章では、南画家・山本琹谷が描き、明治天皇に献上された《艱民図》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の成立と伝来を検討した。《艱民図》は琹谷による画巻と、小野湖山の詠詩による題画詩巻からなる。画巻は明治3年(1870)に旧津和野藩主・亀井茲監から明治天皇へ献上され、詩巻は明治16年(1883)に旧津和野藩士の国学者・福羽美静から献上された。本章では、琹谷と福羽を取り巻く人的ネットワークの作用、『御製耕織図』や中国清代絵画からの図像的影響を指摘し、勧戒画としての一貫した構想と機能を明らかにした。
第三部第二章では、田中有美による新出の《三條内府公事蹟画巻御下絵》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)を紹介するとともに、本画である《三條実美公事蹟絵巻》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の制作過程を考察した。有美は幕末明治期を通じて朝廷、宮内省の庇護下で重要な作品制作に携わったが、その制作環境などの実態は判然としない。本章では、新出下絵と関連文書の分析を通じて、宮内省側から有美への具体的な指示を確認しつつ、《三條実美公事蹟絵巻》の成立過程や制作環境を明らかにした。
第三部第三章では、やまと絵画家・高取稚成の画業を皇室との関係から考察した。稚成は皇居御造営の絵画事業に参加したほか、大正期から昭和初期にかけては、明治神宮外苑聖徳記念絵画館の壁画、皇室関連の記録絵巻を制作した。本章では、住吉派継承者であった稚成の古様な画風を求めた受容者層の問題と絡めて、伝統的なやまと絵画家の軌跡をたどった。
第三部附論では、明治から昭和期にかけて活動した「旧派」系日本画家・池上秀畝の《國之華》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)について、桃山美術受容の観点から論じた。大正期の秀畝は実景写生に南画の筆致を加えた「山水花鳥画」で知られたが、桃山美術の装飾性への傾倒から金地大画面の装飾的な花鳥画へと転換していった。「旧派」の代表的な画家とされる秀畝の画風変遷に着目し、伝統画派の継承と展開に関わるケーススタディを提示することを試みた。
以上、本論文では伝統画派の継承と展開の諸相を、画家の個人史、作品の生成、社会情況、思想・文化の影響、人的ネットワークの作用が複雑に交錯する様相を総合的に考察し、終章では本論文全体の分析を通じて得られた展望と課題について述べた。application/pdfdoctoral thesi
The Characteristics of “the Reading Discussed and United” by Teruaki Aoki : The Teaching Method with which the Children’s Heart is Set to One
application/pdf研究論文departmental bulletin pape
The Raise of Chinese Language Nationalism in Early 20th Century : Focusing on Hu Shih's Theory of Chinese National Language
application/pdf研究ノートdepartmental bulletin pape