Bukkyo University
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Kunio Yanagita’s Shinto Theory in the Taisho Period and Shinto Study Group of Tokyo Imperial University
本稿は、近代神道史の視角から柳田国男の神道論を読みなおすことで、明治後期から大正期にかけての柳田の問題意識の展開が、同時代的な「神道」問題のなかから現れてきた側面を指摘する。そして、その背景に神道談話会の存在があったことに注目し、柳田の学的ネットワークの新たな一面を指摘するとともに、柳田の民間宗教者から国民信仰への視座の展開を、当時の「国民道徳」論との緊張関係から進展した連続性として再定位するものである。 とくに神道談話会は、明治末期から大正期に東京帝国大学で行われていた研究会であり、大正末年に成立する神道学会の前史として位置する団体である。本稿では神道談話会の基礎情報を確認し、柳田が同会と関係をもちつつも、異なる立場をもっていくことに注目する。そして、柳田の大正期神道論の基盤となる巫女論が、神道談話会の議論への批判から形成され、「神道私見」に結実していったことを指摘する。柳田国男神道私見巫女考神道談話会田中義
Review of Wang Yang-ming’s Theory of the Principle and Material-Force
朱子の理気説には整然とした体系がある。その気論に「情は気の作用」といういわば理想主義の思想がある。朱子の気論の一半は理想主義である。一方、ここで取り上げる王陽明の理気説は「理は気の条理、気は理の運用」というシンプルなものである。従来は、この「気」を悪とみるか、あるいは「気」に悪を許容している。陽明においても「情の過不及」が悪であるが、情そのものは悪ではないし、まして気が悪だとはならない。気が動けば悪になるが、気が動かなければ無善無悪・至善であり、それが(理)気の本来性である。陽明の理気説に悪を入れる余地はなく、気を肯定的に捉えるところに陽明の理想主義をみるという主張である。朱子王陽明理気説無善無悪花間草
HIKARU-GENJI's Life Cycle
源氏物語の主人公光源氏の生涯は、部分部分、事件事件、性格の特質などの視点で、個別に論じられることが多かった。本稿では、決して多くはない先行研究に導かれ、光源氏の生涯を、ライフサイクル論的視点から区分し、彼の生涯の特質を考えてみた。特に、光源氏の生涯を考えるには、彼の誕生前史、彼の父である桐壺帝の寵妃で光源氏の母である桐壺更衣に対する愛恋の問題を重視する必要がある。源氏物語光源氏ライフサイクル紫上桐壺
Annual Events of the Head Temple Chion-in: Three Aspects of Chion-in and “Annual Events Record”
知恩院は実に行事の多い寺である。その継続的な運営は、知恩院役所の差配により実施されていた。宝暦八年(一七五八)、役所において編纂された『年中行事録』は、総本山の行事・法要の詳細な記録である。季節の移ろいとともに、連綿と続いている知恩院行事が凝縮されている。年中行事を日付ごとに概観すると、年頭の祝儀・行事に関するものが半数近くあり、正月に集中している。二月より減少、後半、七月盆、歳末に増加している。徳川家の法要、所司代以下の武家方(大名衆)参詣の記事が、御忌法要、毎月二十五日の法然上人御報謝説法とともに中心をせめている。関東の檀林住職が台命住職として晋山した時代の知恩院の研究に、年中行事を読み解くことで新たな視点を提供する。御忌廟堂知恩院天皇の勅願所将軍家菩提所台命住
What did Local Residents get through Activities by University Students in Class? : Based on interviews with Those Local Residents
この小論の目的は,大学でのアクティブ・ラーニング型の授業を通じた学生の地域での活動によって,地域社会にはどのようなメリット・利点が期待されているのかについて,地域の受け入れ団体の語りからまとめることにある。調査を行った地域の語りから,両地域とも学生の受け入れは大学からの直接の要請ではなく行政を介しての要請であり,その後の大学との連絡も行政を介しての連絡となっている。このことが地域の受け入れ団体から見れば,第一に何のために学生を受け入れるのかの目的意識が地域の受け入れ団体に希薄になりがちであったこと,第二に大学が学生を地域に送り込む目的あるいは大学生が地域で活動する目的が分からず,地域の受け入れ団体側にも学生を受け入れることによるとまどいが見られるということである。さらに,こうした状況で学生の受け入れを行うことによって,地域の受け入れ団体の人々は主観的には地域への影響はないと語る。しかしながら,A 地域では地域の側に,区長会とまちづくり協議会との関係の構築や,まちづくり協議会を中心とした「なかまづくり」の重要さを再認識させたと言える。また B 地域でも地域の期待と学生の活動のギャップを認識した上で,大学側が学生の活動を的確に伝えること,さらには地域・大学・行政の連携によって地域側が期待する学生の活動が可能となり,結果として地域がメリット・利点を得ることが考えられる可能性がある。アクティブ・ラーニング授業での学生の地域活動地域のメリット・利点地域住民のとまどい大学・地域・行政の連携の重要
Schopenhauer and vijñapti mātratā
本稿では,ショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』で展開した思想を大乗仏教の唯心論哲学である唯識と比較する。ショーペンハウアーと仏教の比較研究はすでに多くなされているが,仏教の中でも特に彼の思想と類似性が高いと思われる唯識に特化した比較研究はなされていない。よって,本稿では,本格的な比較思想研究の前段階として,「表象」「意志とアーラヤ識」「解脱」など 5 つのテーマについて,ショーペンハウアーの思想をアサンガの『摂大乗論』の唯識思想と比較し,その共通点と相違点を明らかにしてみたい。ショーペンハウアー唯識意志表象アーラヤ