Bukkyo University
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正倉院文書の休暇願にみる実務官人の言語生活 : 待遇改善要求草稿と請暇解
正倉院文書に残る「待遇改善要求草稿」に、休暇に関する要望がある。「毎月、一度にまとめて五日間の休暇をもらいたい」という要望である。この要望は、その後叶えられて、「例・法例」という規定のなかに生かされた。そのことを「請暇解(休暇願)」の分析・検討から明らかにした。また、この規定を最大限に生かすために、写経生等は請暇解に、様々な表現の工夫を凝らしていたことを検討した。さらに、工夫の甲斐あって、一回に一〇日間の休暇を獲得した安宿廣成の請暇解や解文に焦点を当て、どのように文書の定型を外しながら、表現の工夫をしていたのかということも分析した。 正倉院文書は、いつ・誰が・誰に対して・どのような場で・どのような目的で・何を・どのように書き記したかが明確な一次資料である。これらの文書を作成した実務官人の言語生活の実態を記述することは、八世紀の日常普段の日本語を解明することに資することになるのである
Study concerning the Shen Sheng Image Painted on Picture Stones of The Tomb of Wei Wu Emperor Cao Cao
近時、魏の曹操高陵(河南省安陽県安豊郷西高穴村)が発見されたことは、日中両国において大変な評判を呼んだが、二〇一六年に河南省文物考古研究院『曹操高陵』が刊行されるに及び、漸くその全貌が明らかとなった。思い懸けないことに、曹操(一五五―二二〇)の墓室は、漢代と同様、画象石で飾られ、孝子伝図が描かれていたらしい(破壊されているので、今後の考証、復元を必要としている)。小稿は、その高陵の孝子伝図が、申生、金日テイ、伯瑜などの図像に外ならず、特に申生図が研究史的に極めて大きな学術的価値を有しようこと、金日テイ図もまた、非常に珍しく、注目すべきものであることを論じる。併せて、その画象石が孝子伝図に加え、列女伝図、列士伝図などの構成をもつ、石室であったと推定されることに言及する。曹操(高陵)孝子伝図申生図金日テイ図伯瑜
Modern Medicine and Buddhist Healthcare (Part 2) : Their Annotations, Supplements and Redundancies
本稿は、前論考「現代医学と仏教医学」(村岡 2017)の解題と補遺を行ないながら、仏教医学の今日的存在価値を評価したものである。第I節では、仏教医学とは何かについての概念を川田洋一氏の『仏法と医学』(川田洋一 1975)を中心に仏教医学の体系について紹介しつつ、仏教医学が専ら、医療人類学でいう民俗セクター属する医療と認定した。第II節では、仏教医学の総論を概観した。特にその四諦、八正道、十二縁起などのシステムが、現代医学と通底していることを確認した。また、八正道と異なり六波羅蜜のような利他行も現代医療には見られない側面である。さらに仏法的病理学や産科学では、中有身や業や、それによる三事和合の観念が現代医学との大きな違いであることを示した。第III節では、仏教医学の四弘誓願をとりあげ、仏教医学では医師をはじめとする医療者と病者が相互行為(慈悲行)を通じて修行する場であることを確認した。また、大乗仏教の修道論からの具五縁などのライフスタイルの調整を通じた自己管理の重要性についても開陳した。最後の第IV節では、ターミナルケアも現代社会においては仏教医学の一部であり、特に、その際に不死性の感得が重要であることを指摘した。また、「貧困、病苦で苦しむ人々は文殊菩薩その方である」という代理苦思想は利他行の稀代な形態であるが、重要な仏教医学の一環となっていることを述べた。さらに、人々は相互に扶助を重ねて共生している衆生の恩についても言及した。現代医学と仏教医学四諦業代理苦衆生の
HIKARU―GENJI in the Tradition and Creation of Romance
源氏物語の主人公光源氏は、作り物語の語りの伝統の中から生まれながら、物語内の彼の独自の人生を歩むことで、伝統から抜け出し、物語史の新たな創造を成し遂げてきたが、一族に「おごる」ことを戒めるのも、その一つと思われる。その包括的な検討の土台として、「おごり」と「おごり」の教訓の歴史と位相について、考えた。源氏物語光源氏おごり藤裏葉巻和漢比
A Study of the Problem of “Schoolification” in Childcare - From the Viewpoint of Childcare as Welfare
保育の「学校化」が懸念される事態が生じているなかで、関連する先行研究の検討を通して、「学校化」とは何か、保育(福祉)にとって何が問題かについて検討した。わが国の保育は、その独自性を担保するための様々な「方法」的試みにもかかわらず、「学校」の影響を受け続けてきた。学校の教育「方法」が保育「方法」に影響を及ぼし、保育「方法」原理が学校の教育「方法」原理でもあったからである。そこで、保育が「福祉」関連領域から分離し、「学校」系列に組み入れられることによって起こりうる問題に注目した。その検討によってわかったのは、「みんな同じ」という学校の制度・実践原理は、「教育の機会均等」の実現という面と「特別扱い(しない)」という面を持ち、「特別扱い(しない)」ことによって、子どもと家族の生活問題を見えにくくする、あるいは生活問題を「個人化」し、その「『社会的差異』を不可視化」するということである。しかし、保育・福祉において、生活状況に応じた「手厚いケア」は「特別扱い」ではなく、「平等」を目ざすことである。その点で、「福祉の平等は学習機会の平等とは本質的に違う」のであり、「みんな同じ」という学校の制度・実践原理は、「福祉としての保育」になじまない。その点で、保育の「学校化」は危険である。学校化方法機会均等特別扱い平