MMU Repository of Academic Resources (Miyazaki Municipal University)
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The Structure and Development of 'Kado' in Early Modern South Kyushu
中世期以来,南九州地域に広くみられた門は,村落結合や百姓の日常生活単位であり,かつ領主の年貢賦課単位であった。その門は,近世期にはいり地域の領主権力によって様々な体制や制度のもとに編成されていった。日向国日杵郡山間部の門は慶長期には家父長制的経営体であると同時に年貢の賦課単位として位置づけられていたが,その後新領主有馬氏により新地開発と収奪強化が強行されヽまた自然災害による飢饉もあり在地構造は大きく変容する。それに伴い門も変化をみせ,特に寛文-延宝期を境に村々では門の再編成が進められる・高千穂郷岩戸村では慶長期に六四門であったが,一七世紀末には編成・消滅の結果六六門に増加すると同時に四組に編成され,この組が年貢賦課単位となっていく。門の編成は地域によって異なり,数門が組に編成されるほかに周辺門と併合して一門となったり,また単独の門のまま存続していく門もみられた。新たに再編成された門は,以後領主の年貢賦課単位として,また村内では小村的な百姓の生産・生活の基本単位としてなっていくことを明らかにした。departmental bulletin pape
The phantasms of 'gender neutrality' and the freedom of expression : constraints on the freedom from the issue of subjectivity/objectivity
メディア表現について異議を唱える際,その根拠に中立性に基づく客観的基準が求められ,「不快かどうか」を批判の根拠とすることは主観的であるとされる。「ジェンダーとメディア」研究では,ジェンダー概念が客観的で中立性をを持つものとして「ジェンダー」という語を用いることで,メディア批判に正当性を持たせてきたが,それはマイノリティにとっての「表現の自由」を「促進」しないばかりか,客観性を重んじる近代主義的行為であり差別の解消を志向するという意味からは欺瞞であるともいえる。本稿は,日本における「ジェンダーとメディア」研究の展開を概観しながら,ジェンダー概念を用いてメディア批判をすることについて検討し,「ジェンダー中立」の意味をとらえ返し,表現の自由は誰のためのものなのか,「快/不快」でメディア表現を語ることについてポスト構造主義の視角からその可能性を示したものである。departmental bulletin pape
Campus harassment : a derivative of university infrastructure (1)
近年,キヤンパス・ハラスメントをめぐる状況は,急速に変化してきた。従来「問題」とみなされなかった事柄が「問題」として認識されるようになったことは,大きな変化といえる。ハラスメントとして問題化され,改善・防止に向けての取り組みがなされることは,被害者・被害者となる可能性のある者にとって極めて重要な意味を持つ。しかしながら,相談窓口が設けられ被害者の救済措置システムが整備される一方で,その取り組みが目的を達成するには大きな困難がある。この社会においてハラスメントを取り巻く状況は被害者・被害者となる可能性のある者に対して決して好意的ではない。「ハラスメント構造」というべきものが存在するからである。特に大学システムそれ自体が「ハラスメント構造」を再生産する知のシステムであり,ハラスメントを可能にしているといえる。 本橋では,「ハラスメント構造」を知のシステムの特徴のひとつとしてとらえ,主にセクシュアル・ハラスメントに焦点をあてながら,キャンパス・ハラスメントの防止に向けての取り組みにはどのような困難があるか,被害者・被害者となる可能性のある者の利益という側面から環境を整えるにはどのような課題があるかを示したい。departmental bulletin pape
A role of volunteer and local communities for the community development in the information technology age
近年,情報通信・情報処理技術が急速に進展し,産業・行政・家庭さまざまな分野でその活用が進んでいます。これに伴い,急速に進展する情報通信技術(IT)が市民生活に密着し,あらゆる分野で有効に活用できるように地域の情報通信基盤の整備と利用促進が図られている。一方,「まちづくり」という言葉は,現在の私達の日常生活に馴染みのある言葉として定着しつつある。各自治体は,「住みやすいまちづくり」や「福祉のまちづくり」などいろいろな施策を試みている。「まちづくり」は,人間の環境である「まち」に,快適で安全な生活空間や機能を整備し,豊かで潤いのある地域社会を形成することを目指す営みであろう。このような社会的情勢に加え,2000年政府によるIT戦略(e-Japan戦略)は,地域の情報化に拍車をかけ,これに同調するかのように地域情報化を「まちづくり」に生かそうとする試みが,近年,各自治体で行われつつある.宮崎市でも2001年度,市民参画による市政研究会では「ITを生かしたまちづくり」が取り上げられた。「ITを生かしたまちづくり」においては,市民がさまざまな情報を活用しやすくなるように時代に適応した情報通信基盤の整備,そして,だれもが手軽に情報を利用できるよう,学校や市民講座などにおける情報教育,マルチメディアの活用が図られ,これに伴い地域情報化・情報化教育の推進を図る必要性が生じている。本論文では,IT時代のまちづくりと地域情報化の関係を述べるとともに,地域情報化を推進する際に最も障害となる高齢者・障害者の情報化教育(IT教育)普及に貢献するボランティア,とりわけ情報ボランティアの役割について述べる。departmental bulletin pape
The Educational Thoughts and Realization of Congzi
孔子(Congzi, B.C.55-B.C.479)は中国春秋戦国時代の思想家,教育家であり,儒家の創始者でもある。中国文化の傑出した代表者として,孔子ほど広く知られている者はないと同時に,彼ほど誤解されている者もない。グローバリゼーション・情報化・IT社会と言われる一方,「テロ」・公害・経済不況・学力低下などという面も大きくクローズアップされ,ますます混沌とした世相が深まっている今日のような時代に,孔子の思想と実践は果たして意味を持ちうるかどうか。もし,持ちうるとすれば,どんな意味合いにおいてなのか,本文は今日までの中国と日本学者の研究成果を踏まえ,できるだけ詳細な資料を使用して,孔子の本来の姿を再現し,今日における孔子の思想とその実践の意味をもう一度問い直そうとする。departmental bulletin pape
A New Epoch in Publishing in the 70 magazine's First Issue in the Year Showa 21
2001(平成13)年度宮崎学術振興財団の助成による研究報告として私は2002(平成14)年4月,『宮崎公立大学716田中薫研究室所蔵雑誌創刊号目録-創刊号に見る戦後日本の雑誌』と題する報告書をまとめた。これは,私の研究室に所蔵されている約370冊の創刊号を,学生をはじめ多くの人々が有機的に活用できるようにするため,その目録を作成したものである。そして,その中に1946 (昭和21)年のものが70冊含まれていることがわかった。第二次大戦の終戦は1945 (昭20年)年8月15日。それから12月までの約4か月間はまだ日本中が混乱のさなかにあり,この時期に創刊された雑誌はきわめて少ない。しかし,翌昭和21年になると激増する。そうした混乱と新しい時代の夜明けともいうべき,この時代の出版界の状況を,この70冊の手持ちの資料を分析することで,どのような時代状況にあったかをあきらかにしてみたいと考えた。これらの雑誌は,基本的なスタイルは雑誌の形式(条件)を備えてはいるものの,あらゆる物的な面で,現在のものとは大きく異なっている。紙も,印刷も,製本も,その背景にある国の事情も。あれから約60年,すでに21世紀を迎え,日本の国力も,経済力も,社会的な事象も,風景,風土までが大きく変わった.それに伴って,出版状況も大きく変っている.しかし,そこには今日の繁栄につながる原点となった時代の姿がある。そこでその状況比較を試み,これらの70冊の資料分析から読み取れることを確認してみたい。departmental bulletin pape
An economic analysis of private pension
高齢化と少子化が進行するなかで,老後の所得保障として公的年金制度とともに重要な役割を果たすものが私的年金である.本稿は,保険制度を検討した久保(1997)を二期間世代重複モデル下で検討を試み,さらに異なるリスクタイプの存在が与える影響を考察するものである.departmental bulletin pape
D.H.Lawrence's Quest for "a Beyond"
Some critics show interest in the change of the author's attention from the "perfect union" between both sexes to the "great world" of nature in Women in Love, referring to the passage showing the resurrection of the hero Birkin through the delicate touch with vegetation life. But the resurrection scene in the vegetation world does not necessarily mean the abandonment of the "perfect union." When consideration is given to the fact that the rest of the work centers about the establishment of a desirable relationship between man and woman, it is without doubt that his "Sacred World" is supposed to be founded on a mutuality of being. The discussion which follows is conducted on how the mutual world is pursued in Women in Love, with special attention to the words "inhuman" or "impersonal."departmental bulletin pape