滋賀県立大学「学術情報機関リポジトリ
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    基礎看護学実習にのぞむ学生の主体性を育てる看護専門学校教員の経験

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    看護を学ぶ学生は入学と同時に学習への主体性を求められている.とくに看護師養成所 3 年課程 では,看護基礎教育において学生の主体性を育てる教育を行うことが難しい現状にある.しかし,先行研究において,学生の主体性を育てる看護専門学校教員の経験については明らかにされていない.本研究の目的は,基礎看護学実習にのぞむ学生の主体性を育てる看護教員の経験を明らかにすることである.本研究では,基礎看護学実習で臨地実習指導を行っている看護専門学校教員 10 名を対象に半構造化面接を行った.その結果,基礎看護学実習にのぞむ学生の主体性を育てる看護教員の経験から,【教員が認識した基礎看護学を学ぶ学生のあり様】【学生の主体性を育てる工夫】【望む支援と連携】【学生との関わりで生じた思い】の 4 つのカテゴリーが抽出された.基礎看護学を学ぶ学生を看護学生のなかでも初学者であると認識することは,看護学生の強みと課題を理解した「経験型」の教育となり,学生の主体性を育てることにつながることが示唆された

    人間文化セミナー

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    「近江楽座」2020年度 活動報告書

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    滋賀県立大学工学部報第18号

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    滋賀県立大学研究シーズ集2022

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    フィリップの「罪悪感」とロスの「責任」 ─ The Plot Against America における罪の形

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    中国におけるクラウドツーリズム研究序説―上海観光フェスティバルの事例を中心に―

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    中堅看護師の実習指導における教師効力が職業キャリア発達に及ぼす影響

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    病院の中核的な存在である中堅看護師は,さまざまな役割を担っている.その 1 つに実習指導があるが,実習指導に対するやりがいが自己効力感を高める要因と考えた.また,実習指導において自己 効力感をもつことは,看護師のキャリア発達に影響を与えるのではないかと考えた.そこで,キャリア発達の影響要因の 1 つである自己効力感について,本研究では,実習指導における教師効力が看護師の職業キャリア発達に及ぼす影響を明らかにするために,中堅看護師を対象に質問紙調査を実施した.ステップワイズ法による重回帰分析の結果,実習教育に対する教師効力,臨地実習指導者講習会受講経験の有無,実習指導に対するやりがいの有無が中堅看護師のキャリア発達に影響していた.また,中堅看護師は実習指導に対してやりがいを感じていると同時に負担を感じていることも明らかになった.中堅 看護師の職業キャリア発達を促進するためには,実習指導に対する自己効力感を高め,自らの看護に自信をもてるよう年代ごとに支援していく必要性が示唆された

    表紙ほか

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    内モンゴルにおける家畜品種改良事業と近代日本 ―羊の品種改良を中心に―

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    本研究は、20 世紀初頭ころから第二次世界大戦の終戦までの間に、日本が東部内モンゴルで行った家畜品種改良事業の歴史的経緯を考察したものである。 日本では明治維新によって、アジア周辺地域への対外拡張を目的とした近代的軍隊の編成がすすみ、毛織物を原料とする軍服の需要が高まった。しかし、畜産資源に乏しい日本は輸入に頼らざるをえず、にわかに国内で牧羊事業を展開することになった。これを受け、畜産振興政策は、国家の緊急課題として浮上し、清朝からモンゴル種羊を調達して国内で飼育を試みたが、成果を上げることができずに挫折した。日露戦争以後、日本は東部内モンゴルを含めた「満蒙」地域の権益を獲得し、現地へ進出することになった。そこで、日本国内で挫折したモンゴル種羊の品種改良事業をいよいよ東部内モンゴルの現場で行うことが可能となった。 牧畜民族であるモンゴル人は乾燥で寒冷なモンゴルの自然と遊牧的な生き方に適した種類の家畜を飼育してきた。従って、20 世紀初頭に他者からもたらされた家畜品種改良事業はかつてない歴史的なできことであり、満鉄の家畜品種改良事業を起点として、戦後の社会主義時代においても推進しつつけられた家畜品種改良事業はモンゴル人の生業と生活に深い影響を与えた一大事業であった。そういう意味において、モンゴル人にとって家畜品種改良事業は「近代化」そのものであり、しかも、東アジアでいち早く近代化に成功した日本によって直接もたらされたという点が注目に値する。 日本が家畜品種改良事業を行った東部内モンゴルは、清朝の半ばころから、中国本土より大勢な漢人農民が流入し、土地開墾が行われた。とくに、20 世紀初頭に実施した「新政」により、農耕民の入植は東部内モンゴルの各旗まで広がっていった。漢人農耕民の入植を受けて伝統的な牧畜業が衰退し、20 世紀初頭ころになると、定住と半農半牧的なモンゴル人農耕村落社会が広範囲にわたって形成された。 つまり、この時期において東部内モンゴルはすでに伝統的な遊牧社会ではなく、放牧のスタイルは依然放飼いであるものの、放牧地の空間は狭まり、村落を中心とする定住型の牧畜に移行しつつあった。なお、牧畜の衰退と同時に増加した農業の比重がこの地域に半農半牧的な生業を定着させ、農産物からもたらされる各種の副産物は定住型牧畜を促進するうえで積極的な役割を果たした。このことは満鉄が行った畜舎式の品種改良事業と整合性がよく、家畜品種改良事業が短期間で一定の成果をあげた主な要因であった。 満洲国建国以前において満鉄は「黒山頭種羊場」(1921)、「沙里種羊場」(1924)、「公主嶺仮種羊場」(1929)など三つの緬羊品種改良施設をつくり、羊毛を目的として育成されたメリノー種羊をもってモンゴル種羊の品種改良を行い、「育種」から「繫殖」まで展開され、一定の成果をあげた。満洲国設立以後、モンゴル種羊の品種改良事業は実践段階に入り、第二次世界大戦の終戦までまさに羊毛をめぐる日本の「生命線」としての使命を背負って展開されたのである。一方、戦後の複雑な日中関係によって満鉄の品種改良事業の遺産は内モンゴルでその姿が隠され、戦後の内モンゴルで行われた家畜品種改良事業との接点も見えなくなったのである。 本論文は、このような問題意識をもって東部内モンゴルにおける日本の家畜品種改良事業に関わる満鉄や満洲国の関連資(史)料、および中国語の関連資料を中心に利用して、モンゴルの畜産資源に興味をもち始めた明治期から第二次世界大戦の終戦までの間に、東部内モンゴルで行った羊の品種改良事業の歴史的経緯を検討した。 本論文は 6 章から構成されているが、その内容はつぎの 4 段階に分けることができる。第一段階としては、「満蒙」進出以前の近代日本の大陸拡張のなかで求められた羊毛の需要からモンゴルの畜産資源が視野に入った経緯を取り上げた。第二段階としては、日露戦争から「満洲事変」までの間に東部内モンゴルで行ったモンゴル在来種羊とメリノー種羊の品種改良実験について考察している。第三段階としては、「満洲事変」以後から終戦までの間に行われた満鉄の家畜品種改良事業の普及に関して考察している。第四段階としては、満鉄が東部内モンゴルで行っていた家畜品種改良事業の遺産が戦後の内モンゴルでどのように引き継がれたのかについて検討している。人文課第39

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