Kyoto Sangyo University Academic Repository / 京都産業大学学術リ
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ペリー就学前計画の意義とその実現要因 : 非認知能力と貧困問題を教職課程で取り上げるにあたって
1960 年代に実施され50 年以上追跡調査が行われたペリー就学前計画を論拠とする、経済学者のヘックマンの主張によって、質の高い幼児教育は、貧困家庭の子どもの発達にとって効果的であり、とりわけ非認知能力の発達に資することが注目されている。
本稿ではまず、ペリー就学前計画の我が国の政策における活用状況と、教育社会学の教科書における扱いについて整理するとともに、同計画の主な結果を我が国の政府文書との関わりで検討した。
次いで、この計画が実現した背景として、①公民権運動の高まり、②特別支援教育政策の進展、③研究者としての教育委員会担当課長の存在、④黒人コミュニティ指導者としての小学校長の存在、の4 つを挙げた。また当時、就学前教育の効果が疑問視されていたことが、その実証のためのランダム化比較試験につながったことを指摘した。
最後に、ペリー就学前計画の意義は現在でも高いものの、その結果の活用にあたっては留意すべき点もあることを指摘した。departmental bulletin pape
Muneyoshi Yanagi and the Development of the Folk Art & Craft (Mingei) Movement : The Ideological Basis of Organizational Management
大正期から昭和期にかけて、柳宗悦は同人とともに「民芸」の普及に貢献し、民芸運動を主導したことで知られる。柳らによる民芸運動は広く全国に及んだ。民芸運動の拡大は各地に多くの共鳴者を得たことが大きな要因であったと同時に、柳に組織運営力があったことも重要な要因であった。柳は組織運営力を活かし、日本民藝協会の設立や日本民藝館の運営に携わり、民芸運動の拡大に努めた。
その過程は順風満帆ではなかったが、現在に至るまで民芸運動は続いている。それは民芸運動を支える思想的基盤があったからである。柳は「実用性」ないし心の「健康性」をもった日用雑器である民芸品に「美」を見出した。その考えに基づいた民芸運動は、美術品と商品という両面を兼ね備えた民芸品を扱うことによって、継続性をもった。日本民藝館は公共体の援助に頼ることなく、民間主体の財団法人となり、存続が可能となった。日本民藝館の蒐集も柳独特の考え方が反映され、「直観」を重視し、創造に結びつく民芸美を追求した。このような思想的基盤に支えられた組織運営力によって、民芸運動は継続性をもった。departmental bulletin pape
Human Understanding of Animals and the Challenges : The Potential of a Virtue Ethics Approach
今日に至るまで、洋の東西を問わず、徳倫理について多くの議論が行なわれてきた。伝統的に徳倫理は人間(社会)を対象にした議論であった。しかし、古代哲学・倫理学の研究者マーサ・ヌスバウム(Martha Craven Nussbaum, 1947-、2016 年の京都賞受賞者)は、徳倫理を動物(自然界)にまで広げ、動物倫理について考えた。
動物倫理の議論は、もともと二人の研究者によって進められていた。すなわち、哲学者レーガン(Tom Regan, 1938-2017)は、義務論的アプローチに基づき動物の権利論を展開した。一方、倫理思想家シンガー(Peter Singer,1946-)は、功利主義的アプローチと生存権保護に基づき、動物の解放を唱えた。しかし二人は根本的に人間中心の立場をとっていたので、動物自体の在り方を捉える徳倫理アプローチが必要とされた。
ヌスバウムはケイパビリティアプローチ(capability approach)を徳倫理のひとつと位置付けて、権利論に取り込まれない動物倫理の可能性を考えた。動物のケイパビリティは、動物の生命や身体の健康、動物が自由に移動できる可能性、動物のもつ感情、他の種との共存関係、遊びの可能性などであった。しかし、これは人間のケイパビリティを参考にしたものであり、真に動物に適合的であるとはいえなかった。
ヌスバウムのケイパビリティアプローチの貢献は顕著であったが、具体的な事例を扱う論点において、レーガンやシンガーらの権利論的アプローチへと後退した。彼女が考察を重ねながら導き出したのは、「共感的な想像力」であった。これが彼女のいう「徳」であった。この点から具体的な動物理解の方法が進展していくことになるが、未だ多くの課題が残っている。departmental bulletin pape
The Relationship of Legal Regulations among AI Civilian Use, AI Military Use and AI Autonomous Weapons : FY 2024
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Absoluter Krieg, Totaler Krieg, Totale Herrschaft : Ludendorff und Arendt aus der Sicht von Clausewitz (1)
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Japan-China Academic Exchange : International Workshop “AI and Society”
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Expanding haiku’s international acceptance(focusing on Spanish-speaking countries)III : The language of Japanese and foreign haiku
筆者はこれまで,日本の俳句と海外のハイクの連続性について考察を進めてきた。まず,①形式(韻律,修辞),次に②内容(季語,自然との関わり,写生)の側面から詩的ジャンルとしての連続性を明らかにすることができた。本稿では,③言語 を分析の対象とし,俳諧や俳句の言語の「俳諧性」「日常性」について検討した。その結果,俳諧における俳言の用法が拡大し,現代俳句の市民の表現となっていく過程を辿ることができた。海外のハイクにおいては,ロマン主義から前衛詩に至る流れの中で市民の芸術表現として受容され,定型詩から自由律への移行とともに新たな詩的ジャンルとして定着したことが明らかになった。departmental bulletin pape
D’Annunzio as an aviator in spring‒autumn 1918 : From First Naval Torpedo-Bomber Squadron to Squadron San Marco
詩人ダンヌンツィオは,第一次世界大戦で志願して戦い,1917 年には少佐に昇格した。飛行機と魚雷艇の両方に関心があった詩人は,その融合である飛行機から魚雷を投下する航空魚雷という,まだ当時は端緒について間もない新しい可能性に惹かれ,魚雷の搭載および投下を主任務とする雷撃機の中隊を作ろうと考えた。
1918 年3 月,ヴェネツィアで海軍第一雷撃機中隊を結成した。だが,ミラノのカプローニから引き渡されるはずの雷撃機(Ca. 600 hp)は,技術的な問題が生じ,ようやく完成したのは秋であり,その頃には戦争は終わろうとしていた。彼の中隊は古いCa. 450 hp で6 月のピアーヴェの戦いに参加し,7 月と8 月にはSIA 9B でアドリア海沿岸のオーストリア海軍基地ポーラを爆撃した。9 月,雷撃機中隊は「サン・マルコ中隊」へと名称変更される。
本稿では,カプローニなど関係者へ書かれたダンヌンツィオの手紙や文書から,これらの一連の出来事を再構成し,同年夏に行われた有名な「ウィーン飛行」の前後の詩人の行動を跡づける。departmental bulletin pape